markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

火災

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10年前の8月末、うちの会社が火災に見舞われ、事務棟を残し全焼した。土曜日の昼火災で、幸い人身事故はなかったが、急を聞きつけた社員一同、道路を隔てた歩道で、熱気を感じながら燃え盛る工場を見守るだけであった。消防署が数100m近くにあるが、約1時間で全焼した。周辺への延焼もあり大変なご迷惑をおかけした。

原因は漏電との事だったが、ちょうどその一週間前に東京電力の下請け会社が漏電チェックに来られ、異常が無いと報告を受けていたのだが。

その日は土曜休日で自宅におり、火災報告を受け、渋滞に巻き込まれながら遠くに立ち上る白煙と黒煙を見た時、「半世紀の歴史ある工場の不要不急品が無くなり、ゼロスタートが出来る」と不謹慎ながら脳裏を横切る。これは僕なりの処世術で、緊急事にはプラス思考が働くようになっているようだ。

最初の緊急時は19歳の冬、交通事故で急逝した父親の後を継ぎ、家族や社員を守るという、半ば本能に近い気持で社長業を始めた。次の緊急事は、取引先から不渡りを受け、20代中頃であったが一般債権者として資金回収を待つより、債権者副委員長の機会を得て任意整理の経験を得た。

今回は、「1週間で操業を再開する」という目標を掲げ、社員や客先に宣言した。大幅な納期遅延をすれば客先が困るし、社員もやることが無ければ所得に困る。客先も製品が入らなければ転注せざるおえず、一旦他社が供給を始めれば仕事は戻らず、材料納入業者や金融機関から信用不安が生じる。

目標を設定すると社員からも有益なアイデアが生まれてくる。近隣の同業者の空き工場があるとの事で、場所と一部設備をお借りする。必要品リストを作り、友人や客先からも様々な援助を受ける。他の同業者からも不要な設備と材料を格安で入手。無いものは近隣のDIYで調達する。自宅に仮事務室を作り、焼損した設計資料などは、起きたら作成し眠くなったらそこで寝るという生活でスピードを早めた。お陰で全客先との取引が継続出来た。

しかし、客先の中で1社(1部上場企業)の社長だけが、多分、一週間で立ち上げた事実に、私が計画放火したと疑い、発注を止め内製化したが、品質を確保できず半年後には受注が戻った。

火災事故以前は一部トランスを海外調達していたが、工場再建の出費がありキャッシュフローの余裕がなく、輸入ビジネスを手仕舞い「付加価値経営」に切り替えた。「付加価値経営」とは私の造語で、売上から材料費を除いた付加価値額と給与を含めた総経費の支出額のバランスを月次で取り、自己資金だけで資金繰りする事で、借入は一切しない。売上の増減は無視。もちろん手形発行もなく、極めてシンプル。会社も給与所得者と同じで、毎月の所得内で生活をする。

従って、いかにして付加価値を高めるかに注視し、15年ほど前から始めた真空管ギターアンプの専用トランスの製造にシフトした。小さな市場のため競合社もなく、ネット上で徐々に客先が増えてきた。中にはビンテージなアンプに使用されていたトランスの復元を依頼され、解体しトランスの仕様を確認し再生することも始めたら、「アテネ電機はトランスの修理もする」とネット上に情報が流れ、1台づつの修理依頼も増えてきた。これは利益を出すことは難しいが、火災直後、多くの同業者に助けられたことで、トランス修理再生することは業界の責任として、今でもボランティアとして継続受注している。

海外からも依頼を受けた際、「トランスも楽器の一部である」と考え、ものづくりを行っていると伝えた。音はスピーカー、真空管とトランスで決まるとの事実に基づいての発言である。それは、現役でバンドをやりながらトランスも作るからだ。おかげさまで、一流ギタープレーヤーからの受注も舞い込み、さらには音響のステレオアンプメーカーからの受注も増加している。

無鉄砲な再建を試みたためか、火災事故から三年後に心臓のトラブルをはじめ、その後身体の異常が出てきたが、偶然素晴らしいドクター達の出会いで生きながらえている。現在はストレスをなるべく避け、19歳で大学を中退した際、辞めたバンド活動を再開した。当時一緒にやっていたギターの友人も、永くプロ活動をしていたが快くバンドに参加し、そのほかテクニックのあるメンバー達の参加に感謝している。

火災で思い出は失ったが、楽しい未来が手に入った。

 

 

 

 

 

5ヶ月ぶりのライブ


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昨年末以来、久しぶりのライブ。12月に3回ライブをやり、食傷気味であったのか、休みが長くなってしまった。しかし、その間2曲新曲が準備できた。

コロナ禍、クラスターのリスク回避のため、休業していた「コヒーラウンジCOCO」を5月21日だけ開けてもらい、想定以上のお客様の来場のもとライブが開催された。

ご来場の御礼を言うつもりであったが、思わぬ笑い声の反応に調子に乗り、数分話を続けてしまった。中には「早く演奏をやれ」と思っている人もいるだろうし、バンドメンバーの集中力を欠いてしまうので、謹まなければならない。

最初はいつもインストを演るため、ギターの村山君に曲を選んでもらった。Isn't she lovelyでStevie wonderの独特なリズム感が楽しめる。ドラムの佐藤君はしっかり8ビートを刻んでいるが、3拍目の8部休符を含んだ3連譜をギターとキーボードがバッキングを、思わず4ビートを誘発する。

1曲目が終わり、そのままドラムがボサノバを刻み、ボーカルがマイクを持つまでバンドがDesafinadoのイントロを繰り返す。スピード感のあるボサノバをボーカルのSelinaさんがポルトガル語で歌い始める。

バンドメンバーの紹介が終わり、Jazzの名曲Fly me to the moonを英語で歌いはじめ、エンディングはシナトラ風におさめる。

Momentos(瞬間)はAndrea bocelliの歌声をYouTubeで観て、一発で魅かれた。元はJulio iglesiasの曲だったようだ。イタリア語で静かに入り、サビは感情豊かに力強く、最後に「二度と戻ってこない瞬間」で結びます。

Afternoon coffeeはSelinaさんの作詞作曲で、村山君が三拍子にアレンジし、間奏は軽快なJazzワルツ。詩の内容は「コーヒーショップへ訪れるお客の後ろ姿に寂しさを見て、苦いエスプレッソも隣に誰かがいればその苦さも柔らかくなるでしょう」。

Mistyは1964年のSarah Vaughan風に「Look at me...」で始まる。これもスタンダードなJazzである。ウッドベースでやれば良いのだが、エレキベースではなかなか音が減衰しないので苦労する。

1部目の最後は、新曲のFrenesi。キーボードのChicaさんが難しいイントロをこなし、ギターとのVerseをボーカルが歌い上げ、そしてcow bellの繰り出すリズムにスペイン語で歌が始まる。このcow bellの音とリズムの虜となり選曲した。

2部の最初はキーボードと歌のDuoでLa Vie En Roseをフランス語で歌い上げる。キーボード一本のため、歌声がクリアーに聞こえ、極上のボーカルを楽しめる。

Desperadoは三人の男性コーラスをバックにカントリー風に曲が流れ、オリジナリテー溢れたエンディングとなる。

私たちのライブでは誕生月の人たちをお祝いすることが恒例である。Selinaさんの作詞作曲したVerseを歌い、いつものHappy birthdayにつなぐ。以前ロータリークラブで途上国の孤児院を訪れたさい、子供たちの何人かが誕生日が分からず1月1日になっていた。その後、この世に生を受けた大事な日を、みんなでお祝いしようと決めた。

ボサノバのWaveはメロディーに高低差があり、歌い手にとって音を取るのが難しい曲だ。

途中、インストとして多くの人が知っているSunnyを演奏する。さすが半世紀ギター一筋の村山君のテクニックが楽しめます。

リズム感あふれるJazzのCheek to cheekを踊りながらセリーナさんが軽快に歌う。

最後の曲はWhitney Houstonの名曲Greatest Love of Allを歌い上げる。歌唱力がないと、簡単には歌えない。万雷の拍手を得てアンコール曲に入る。

ギターのイントロから始まる不滅のロックンロールJohnny B Goode。会場がノリに乗った。

東京から1時間ちょっとの位置にある群馬県だが、大人のためのライブを楽しめるところが少ない。「ちょっとお洒落して、友人、知人、恋人、夫婦で音楽を楽しめると良いな」をコンセプトに五年前にはじめたバンドです。バンド名アラカルトの通り、ジャンルに拘らず、良い曲を選曲してます。一度は観に来てください。

 

 

 

 

 

日本人の宿題(半藤一利著)を読んで

日本は近隣諸国の中国、北朝鮮、ロシアによる武力行為に対抗し、昨今は侮られぬよう反撃能力を持ち、国家間のパワーバランスを保つ事に舵を切った。これは止む負えぬ選択であり賛成はするものの、敗戦の歴史を学ばなければと思う。

半藤一利著の「日本人の宿題」に参考になる内容を以下に記す。

戦前昭和の日本人の傾向として、一番目に「国民的熱狂」が危険。二番目に現実を直視せず、観念的に外圧に対処する「観念論」を好む。三番目は自分たちの得た情報が正しく他の情報を認めないエリート集団を作りやすい。四番目は国際的な大きな情報への対処の仕方が下手。五番目はせっかちのため、長い視野である一つの方向を決めることをしない。これらが日本という国を滅ぼしたと思う。

 

人間の「心」というものは40年も経つと何か新しいものを求める。その新しいものの求め方を間違うと、とんでもない方向に走る。

 

歴史というのは、自分が転換点にあるとか、危機にあるとか、そんな事に気づかず生活している。

 

論理的にものを考えることができる能力をきちっと教育で養わないと駄目。教育は十年経つと随分変わる。

 

無私の精神を自分の心の中にもう少し持つようにしたら、随分違うようになる。

 

「戦争は良くないですよ」と日本人がみんなして、外に向かって声を大にして、発言するぐらいの気概を持ってもらいたい。

 

戦争の被害者とは戦場で戦って死んでゆく兵士だけではない。後方にいる少年たちの感性もまた被害者である。

 

昭和二十三年のロンドンでのオリンピックでは日本とドイツは参加を拒否された。ドイツと日本には、まだ我々の心の中に許されない思いがあると、

「天才科学者はこう考える」を読んで その2

ディビット・イーグルマン:環世界と言う概念があれば、意見を言う人、批判する人がどの程度、自分が入手できない情報の多さ、見ることの出来ない世界の広さを意識し、謙虚な姿勢を保っているかを見ようとするだろう。

アダム・オルター:「無意識化の情報処理」として、男性は赤いシャツを着ると、他の色のシャツを着た時に比べ、女性にとって魅力的に見え、女性の場合は写真を赤で縁取ると男性にとってより魅力的に見える。

テレンス・セジュノスキー:主観的な時間の長さは、新奇な体験の量で決まると考えた。新奇な体験が年を取るほど減っていくのは確かである。人生の長さは対数的になっているのかもしれない。終わりに近づくほど短く感じられる。

マーセル・キンズボーン:異質な人同士が結婚すると、子孫の認知能力が高くなりやすい。人類のIQ(知能)が向上し続けているのに貢献している可能性がある。

クレイ・シャーキー:80/20の分布が見られると言うのは、平均と中央値が大きく異なる。「ビル・ゲーツがバーに入ってくると、平均では客の全員が億万長者になる」パレートが「予測可能な不均衡」と呼ばれてから100年になるから、そろそろパレート分布を予測できる様になる必要がある。

イリアム・カルヴィン:二酸化炭素の排出量を削減するのは、馬が逃げた後の納屋の扉に施錠する様なもの。価値はあるが元の状態には戻らない。

トール・ノーレットランダーシュ:知的な人生とは、上っ面だけの抽象表現と深さのある抽象表現を区別できることが全て。頭から飛び込むときは、その前に深さがあるかどうか把握することを忘れないで。無駄遣いはお金持ちしかできないが、ただ使うのでは無く、人目を引く形で使う。そうすれば周囲にお金持ちだと知らしめる事になる。

ドン・タブスコット:認知の武器として最も強力なものはデザインする力。脳は鍛えることができ、使い方次第で変えられる。新しいテクノロジーにさらされることで、ネット世代の脳の容量が従来の限界を押し除ける可能性がある。記憶できる容量に限界があるのならば、記憶に留めるものと留めないものの基準を設ければいい。

マット・リドレー:集団的知性とは各自が一つのことを行いながらそれに熟達し、その成果を持ち寄って共有したり組み合わせしたりして、理解すらしてないことができる様になる。

スーザン・フィスク:逸話をいくら集めてもデーターにはならないし、意見をいくら集めても事実にはならない。

スコット・D・サンブソン:人は自然の外に存在しているのでも、自然より上の立場にあるのでも無く、完全に自然に内包されていると言う事実。

アマンダ・ゲフター:事実というものは、かって私たちが信じていたものよりもはるかに捕えづらく、様々な姿になる。

エリック・トボル:医師が根本原因を探ることは滅多に無い。理由を見つける能力が勝ってないほど高い時代だが、忙しすぎて究明する時間がない。説明がついていないことをほうて置いてはいけない。

デイヴ・ワイナー:歩道を進んでいると、道を譲る責任は相手を目で捉えているあなたにある。人間という種の性として、人は他者を探し求めずにはいられない。

ポール・サフォー:個人にとって自然な最良のタイムスパンを超える仕事に就いたら、その人は仕事で失敗をする。気候変動の様な問題で手を焼いているのは、レベル5のタイムスパンでものを考えられる人が必要な国会に、レベル2でしか考えられない人が選出される政治制度に原因がある。

タニア・ロンブローゾ:自分の信じている物事には覆る可能性があると認識しない限り、冷静な議論や成長は望めない。

エドゥアルド・サルセド=アルバラン:人は時として、それが何であれ、今この瞬間の欲求を満たすだけのために行動を起こす。本能を制するのは難しい。「パニックになるな」という警告が役に立つのはパニックに陥ってない時だけ。ホモ・センサス・サビエンスという考え方をすると、人というものは、合理的な能力への過剰な信頼と、本能に対する忠実さを両方を抱え、その中間に位置するものだと気づける様になる。

フィエリー・クッシュマン:どの程度の不正を行うかを決める自分がいる一方で、不正を自覚しないレベルに調整をしようとする自分もいる。

 

お客様は先生 その1

先代の社長(父親)が早逝し、19歳で会社を継ぐことになった。当時大学へ入学したが、学生運動が盛んで満足な受講もできず、仕事に関してはズブの素人であった。

ただ自分には若さがあった。若さとは怖さを知らず、無茶が出来るエネルギーの塊の様なもの。

そして周囲に舐められてはいけないと思い、鼻の下に髭を蓄えた。

その髭を見たある客先のE社の社長が、「若いんだから可愛がられなさい」とアドバイスを。即日その髭は剃り落とした。

その会社は5年後キャッシュフローのミスで倒産し、債権者委員会の推薦で自分は偶然副委員長となり、約1年間仮操業を続け、在庫商品を転売し労働者債権を確保し、また債権者の一部が怖い人たちへその債権を安く転売し、力で回収を始めたので債権の公平化を盾に矢面に立たされることもあった。

約1年後任意整理が完了し、債権者委員長とその弁護士のお陰で何割という配当も確保でき、その社長には危害が及ばずにすんだ。全てではないだろうが、当時の債権者会議に臨む債務者は、万が一刺されても死なない様に腹に晒を巻いて出席をした。

仮操業を続けるため、また供給を継続するため、神奈川にあるK社と言う上場企業の出張事務所を地元に設置し、便宜を図りなが担当者らと交流を深めた。

それらの人間関係と途絶えぬ製品の供給実績により、50年以上経過した今も取引継続中です。

 

「天才科学者はこう考える」を読んで

 

 

識見の広さ、深さがあれば人生さらに楽しい。当書籍を読むにつれ、その様な気持ちになり、興味のある箇所を抜粋した。

 

ロジャ一・シャンク:実験とは誰もが絶えずしていること。適切な判断が出来る人になるには、適切な証拠を十分に集め、それを元に推論する。繰り返し実験をする際は、条件が同一になる様にする。

サミュエル・バロンズ:二重の自己像。他人と共通部分が多いことを認識すれば、他人を仲間とみなし、謙虚に敬意を持って接する事になる。自分が特別と認識すれば、誇りが生まれ自分の能力、想像力を高め、独自の成果を上げようとする意欲が生まれる。

ジョン・トゥービーマン:一人の向上の幅は少しでも、大勢の分が集まると世界を変革するほどの力を発揮することさえある。「知の連鎖反応」という現象。複雑な因果関係を正しく認識すれば、人類に大きな損失をもたらしている破壊的な妄想に一部はなくせる。

ディヴィッド・マイヤーズ:「自己奉仕バイアス」人間は成功を自分のおかげだと思いたがる一方で、失敗は自分のせいだとは思いたがらない。良い行いは自分のものだと進んで認めても、悪い行いは自分のものだと認めない。他者を見下ろす様な態度を取れば、交渉ごとは尽く決裂する。

ジョナ・レーラー:注意のシグナルをうまく制御出来れば、否定的な思考にとらわれそうになっても抵抗できるし、危険な誘惑に負けることも少なくなる。

ジョン・クラインバーグ:それぞれは独立して動作する多数の小さな要素が、協調しあい、ひとつに統一された(と錯覚できる)体験を生み出すという分散システムをクラウドと呼ぶ。

ニコラス・A・クリスタキス:ホーリズム全体論)。全体は、部分の総和以上のものである。生命は様々な元素が組み合わさって、個々の元素とは全く違う、とてつもない全体が生じている。

ロバート・R・ブロヴァイン:「ただほど高いものはない」。値段を決めるのは、単純で正直で情け容赦無い自然選択である。環境に適応して生き残れれば、コストは決して高くはない。

ジョウジ・チャーチ:平均の知能指数が全世界で向上し続ける「フリン効果」は、物事を簡潔に要約して理解する能力が人間にはあるかもしれない。私たちには便利な道具が数多くあり、そのおかげで知能、能力が高まっている可能性はある。

マーティン・セリグマン:幸福度を測る指標PERMA。

Positive emotion 前向きな態度

Engegement 社会への積極的な関与

Positive relationship 良好な人間関係

Meaning and purpose 生きる意味と目的

Accomplishment 目的の達成

PERMAの指標で現在の幸福度を測り、それを明確に向上させるための具体的な行動をとる。

ディラン・エヴァンス:「比較優位の法則」仮にどちらか一方が優位であっても、移民であっても、分業、交換をした方が結局は両者にとって利益になるとする原則。

エマニュエル・ダーマン:定量的に測定できない人間の特性を無視して、誤った擬物化をしてはならない。

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト:現代の「キュレーティング」とは重要な選別をする行為。

ロバート・クルツバン:「外部性」意図しない悪影響に関しては、それに対し金銭を支払う様に求めるのも一つの解決策になるだろう。また、意図しない好影響で金銭が得られる様になれば、良い影響を与える行動を促すかもしれない。

ジェームズ・オドネル:あらゆるものは一時的である。始めから、流れへの対応を考える方が得策。

 

まだ3分の1程度しか記載できず、続く。

 

ライブバンド「アラカルト」について

今年のライブも11/27の前橋、12/15の富岡ライオンズクラブ、12/22の富岡中央ロータリークラブのクリスマスコンサートで終了。この1年間新たに、富岡製糸場や安中にあるゴルフ場クラブハウスでのライブもやることができた。

 

主に自分たちの好む洋楽のカバー曲を演っているが、オリジナル曲も何曲かある。バンド名の「アラカルト」の由来はフルコースと違い、好きなものをジャンルにこだわらず取り入れるためにこの様なネーミングとなった。

譜面はプロのギターリストの村山君が作成し、数回しかできないリハーサルの日までに、それぞれが自分のパートを仕上げてくる。リハーサルはドラムの佐藤君のスタジオで行い、レコーディングされた音源を各自参考にして練習をして本番を迎える。ボーカルはカラオケスナックを始め、お客が居ない時は譜面台にマイクスタンドを用意し、歌と振り付けを練習しているそうだ。

ライブに誘う私の友人たちは、私がアマチュアであることで、音楽の内容より付き合いできてくれるのだが、バンドのメンバーのレベルが高いことでライブを楽しんでくれた。

 

やむおえぬ事情で19歳で大学を中退し、当然バンド活動からも遠ざかることとなった。その後東京や、また海外に出かけた際ライブハウスへ立ち寄ることが多かった。どこの国でも地元の仲間たちがライブハウスへ来て、生の音楽を背景に飲食と雑談で楽しんでいるのを目撃した。日本ではおしゃべりをすると、注意をされるのでその堅苦しさに嫌気をさしていたのだが。とても羨ましくもあり、「そうだ、群馬でも大人向けのライブをやろう」と思い立った。

ちょうど富岡市内で、知人がソファーのあるライブハウスをオープンした。そこで2、3回友人のバンドを呼び、チケットを販売し生演奏をしてもらった。しかし演奏の当事者になった方が楽しそうだと思い、4年前友人のギターリストの村山君に電話をして、群馬のために手伝ってもらう事にした。次にメインのボーカリストは、ホイットニー・ヒューストンやJAZZを5カ国語で歌いこなすセリーナをスカウト。ドラムはJCの後輩でリズムが安定しており、様々なバンドのサポートをしていた佐藤君に依頼。キーボードは以前佐藤君の演奏仲間だったチカさんを迎えた。

僕たちはステージ上でのショー(パフォーマンス)をお客様に楽しんでもらい、音楽を通じて心を癒してもらいたいと願っている。ドラムの佐藤君の尽力により、PAによる音作りも工夫をしている。ボーカルのセリーナの流暢な英語とたどたどしい日本語のMCで観客を魅了している。キーボードのチカさんによるストリングス、ブラス、オルガン、ピアノ等多彩な音色で曲の厚みを作ってる。バンドのレベルアップに編曲、リハーサルの指導、本番時の曲の完成度はギターの村山君の働きは筆舌に尽くし難い。ベースの私は村山君に言わせれば、4年前から比べ「伸び代が大きい」とは、嬉しいかな、悲しいかな。なんとか皆んなの足を引っ張らない様に日々練習練習。

 

来年もバンド活動が続けられたら幸せである。19歳で途切れた夢を、半世紀すぎたこの歳で再現するなんて、幸せと感謝で満ち溢れている。

ビデオカメラで撮った映像のため、音は悪いが雰囲気は感じてもらえるかも。


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ライブミュージックバンド

 

 

Winter Live in Chigira Hotel

ライブというと若い人たちの音量も大きく、スタンディングが一般的で、「大人の我々はついてゆけない」と言う人たちが多い。

生の音楽を聴きながら食事や会話を楽しむのは、大人としてちょっとおしゃれな嗜みと思う。

ディナーショーほど仰々しくなく、大人の人たちが気楽に楽しめる、ライブミュージックを数年前から群馬県内で始めた。しかしスタートして間もなく、コロナウイルスの蔓延によりなかなか活動がままならなかった。しかし最近、経済、文化活動と並行してウィズコロナが国の指針でも,うたわれるようになってきた。

私たちの音楽は、スタンダードとなったJazzやPopsなどのカバー曲が多く、数曲はオリジナル曲も演奏している。私たち大人が誰でも知っている映画音楽や、若かりし頃のロックンロールも持ち曲にある。レパートリーは100曲近くになってきた。バンド名「アラカルト」の通り、ジャンルに拘らず選曲をしている。その基準は「おしゃれ」な音楽。抽象的ではあるが、私たちの感性が同世代にバイブレーションのできると信じている。

問題は、限られたアーティストに傾注したバンド活動するならば、コピーバンドとして奥深く研究尽くしてメンバーはプレーに専念できるのだが、私たちのような様々なジャンルに対応するカバーバンドとなると、メンバーへの負担が大きくなる。しかしバリエーションがあるため、お客様を飽きさせないこととなる。


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バンドの花であるボーカリストはフィリピンで3歳から歌い始め、ギターリストの父親やJAZZシンガーだったおじいさんの影響を受け、小学校入学前には県レベルのチャンピオンとなった。その後はビッグバンドの専属ボーカリストやテレビ、ラジオ等のメディアへの経験が豊富であり、英語、スペイン語、イタリア語、フランス語、プエルトリコ語などをこなす、神のギフトを受けたシンガーであり、最近は英語での作詞活動をこなす。

ギターリストはプロの村山成生君。大学卒業後吉田拓朗や芹洋子のサポートメンバーを務め、その後松崎しげる西郷輝彦、また著名なラテンバンドなどと共演、レコーディングに参加し、ここ10年ぐらいから六本木で大石吾郎、西村協さんらと演奏活動をしています。ほとんどの譜面及びアレンジを行なっている。

ドラムスは県内のサポートドラムで活動しながら、音楽スタジオを所有し、PA等をこなす。キーボードはピアノ、シンセサイザーによるブラスやストリングスを同時に演奏する達人レディー。上にあるYouTubeのボーカルとのデュオはリハーサルの一発取りで、証明される。

私の担当はベースだが、MC、コーラス、マネージャーとして日程管理、選曲、フライヤーやチケット制作、客集めなど雑用が主である。

Rotary Club at Tomioka Cyuo

私たちのバンドのライブ活動実績地は、富岡製糸場多目的ホール、桐生の有鄰館煉瓦倉庫、前橋のちぎらホテル、The Raysum ゴルフ場クラブハウスなどである。今月末の11月27日の日曜日の夕方からは、そのちぎらホテルでのライブ、12月はライオンズクラブロータリークラブでのクリスマスパーティーで演奏の予定です。

Lions Club at Tomioka

 

 

終戦記念日に思うこと

今日は終戦記念日だが、昔お盆休みを利用し、韓国の友人宅を訪問したさい、彼の家にあるカレンダーには対日戦勝記念日(光復節)と記されていた。

天安門事件前に訪中した際、盧溝橋事件について問われ、当時不勉強であった自分には何の返事も出せ無かった。

一人で海外に行く事が多かったので、論争になると「過去を学習し、平和の未来を」と言うことにしていた。

最近は日本に対し北朝鮮、中国、ロシアの好戦的ニュースを見聞きするたびに、彼らの学習効果の希薄さを感じる。ただアメリカの同盟国として、好戦国を抑制しているのだろうが。以前アメリカ共和党シンクタンクヘリテージ財団」が「日本は普通の国に」と示唆していた。要は自分の国は自分で守るという事。

中国や韓国の人たちと継続してビジネスを行ってきたが、金銭問題や品質問題のトラブル解決の前提として、相互の継続的信頼関係の維持を暗黙の了解としていた。

しかし国家間の争いは好戦的になりやすい。これは子供の喧嘩と似ており、無意識にパワーバランスの中で、のび太ジャイアンにいじめられ、スネ夫ジャイアンの傘下にいる。もしドラえもんの力を借りてのび太ジャイアンと同等の力を持てば、安易にジャイアンのび太を攻撃しない。

日本は同盟国の協力を得て、北朝鮮、中国、ロシアとのパワーバランスを確保できれば、紛争や戦争は回避できる。従って継続的国体維持が目的だから特別国債を原資とし、早急に軍事的パワーバランスを確立すべきと思う。論点は「5年以内GDP2%を税負担」では無いはずだ。GDP比ではなく、現在から将来へ向けての戦略兵器と、それを操作する人員を入手保持する金額目標であろう。

戦禍にまみれ亡国に向かう日本を回避するのは、唯一政治判断と実行力であり、それを支える民衆の知恵だと考える。

新型コロナウィルスに思うこと

 

100年前のスペイン風は2年半で沈静化したと。新型コロナは3年を経過しているが、当時と何が違うのか?専門家ではないから、学術的なことはわからないが、当時はいまほどの医学の進歩もなく、また海外への渡航者も少なかったろう。多くの人がウィルスに感染し集団免疫が確率され終息したとの記述があった。

現代は短期間でワクチンが開発され、マスクも当時の布製から密度の高い不織布製となり、ネット等のメディアによる情報の共有化も飛躍的に進んでいる。なのに何故沈静化しないのか?

素人考えだが、奴等(コロナウィルス)は当初凶暴なパワーで取り付いた人間を殺してしまい、結果自らの居場所もなくなり死んで(不活性化)しまう。これは自分達の種族維持が出来ないと反省(進化)し、パワーは犠牲にしても感染力を高め、人間の体内で共存共栄出来る様に方針を変えた。そのためか、最近身近での陽性者が増えてきている。国もコロナとの共存として移動の自由や経済の復活に舵をきった。

しかし、自分達で決めた指定感染症の分類で論争しているが、政令で、もう少しフレキシブルに対応できないものか?過去の事象の整理のために分類は便利だが、未来の不測事項は柔軟に適合した方が現実的ではないか?