markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

お客様は先生 その3

客先数を増やしていた頃、急成長していたA社に量産品を納入し始めた。埼玉のE社の不渡りから、乗り越え始めた2年後であった。当時は資金的にも余裕があり、債権者副委員長までやるほどの精神的余裕もあった。今回は前回の借入もあり、資金繰りに困窮し関連倒産を免れられないと思った。

親戚中を周り、出資を仰いだが断られ、金は貸すが返済しろとのこと。また、A社の納入先へ出向き製品の継続納品を約束する代わりに、上場企業トップのT社部長に20代の若造社長が「注文書を発行して下さい」と掛け合った。「ダメならば不要在庫として廃棄する」とまで言った。

ラインを止めるわけにもいかず、注文書を発行してくれた。その注文書と、親戚から借りた幾ばくかのお金を持って2行の取引銀行へ飛び込んだ。1行は希望した額を貸す約束を取り付けた。もう1行は、「そんな希望額ではダメだ。不渡りを受けた損害(手形の買い戻しを含め)と、これから新たに納入する材料費が必要だから、その倍額を融資する」と言ってきた。不動産も無く、担保は若さだけだったのかも知れない。

確かに事業は継続しているのだから、「不渡りは2倍の資金が必要である」事を知った。手形は怖い。数年後には手形発行をやめ、現金取引にする代わりに業者へ値引き交渉をした。驚いた事に一部の業者が飛んできて、「経営に問題があるのか」探ってきた。「手形が発行できないほどの信用不安があるのか?」と。

そのT社の新潟工場は雪が深く、そのうち顔馴染みになった担当者に関東地方の工場の紹介をいただいた。紹介された工場がしばらくすると、新商品に弊社の製品を使ってもらう事になった。ある時、無理な納期要請があり、当時中国生産もしており、飛行機でハンドキャリーして間に合わせた事があった。

その商品を開発した担当者が役員になり、当時の事を覚えていただいてたのか、社内政治の力学で転注されるところを弊社を守ってくれた。「一時の損得勘定より、信頼を勝ち取る方が長続きする」事を学んだ。

また、大きな不良を発生させ、対策に駆けずり回った後、再発防止会議に招聘を受けた。品質担当役員に怒鳴りつけられるのを覚悟しての出席であった。しかし事実確認と、やらなければならない対策を淡々と説明するだけであった。

後日、この会社の中国工場へその役員が出張する事を耳にし、自分も急遽中国へ飛んだ。お付きの社員さんも含め、接待し大いに歓談した。帰国後のある日、役員室に呼ばれ「業者として何も要求しないが、何かあるのか?」と問われた。実は「この人から学びたい」との下心から接近していたので、「友達になりたい」と告げた。

時が経ち、天下り先の社長になってからも、仕事を出していただいた。