markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

お客様は先生 その2

先代が急逝した時、真っ先に飛んできてくれたのは、お客様の上場企業S社のスタッフの皆さま。勿論私の心配ではなく、製品の供給能力の確保である。担当者は泊まり込みでサポートしてくれた。大学中退した世間知らずのボンボンに対し、相当心配をさせたのだろう。しかし、社員や他の客先、材料納入業者そして金融機関の不安を払拭してくれた。「揺るがないことが、持続可能の担保となる」事を知る。

数年経ち利益が出てきたら、新任の購買部長から決算書を持ってこいと言われ、儲けすぎと判断され、過去に遡り値下げを受けた。「自分の城は自分で守らなければダメ」と学習。

技術革新により、突然受注が7割削減される事になった。素人の自分でも、このままでは潰れると感じた。ベテランの購買部長(元労組の委員長)の指導を受け、人員整理による難局の打破を試みる。夜、選別した社員宅を訪れ、残ってもらうよう根回しをし、ある日社員全員に印鑑持参で出社していただき解雇を告げ、職安(ハローワーク)や知人の会社への再就職を依頼しながら、少人数となった会社の切り盛りを始めた。20代でやるには合点もゆかないところもあったが、「暖簾を守る」事は「信頼を維持する」事。商売の大事な要諦である事を学ぶ。その理念を頼りに、危機を乗り越えた。

この体験から、客先数を増やし自立経営しなければならない事を学んだ。1ユーザーの比重を30%以下、100社を目標に営業努力したが、数年間は改善が見られなかった。諦めないでやっていたら、インターネットの時代に入り、今では目標値を超えた。

今回の火災事故の際も、このS社購買部や技術部、生産管理部の人達がきてくれた。しかし、日本のトップ企業からの天下り社長の判断により、メインの仕事を引き上げられてしまった。事故後1週間で再起した事も、計画火災と疑われた様であった。納期を確保すると言う、責任感を誤解された事は理不尽であったが、引き上げられた客先の製造に置いて、非効率と不良率により、半年ほどで火災見舞金と一緒に戻ってきた。

火災は貰い火であれ、「火災事故を起こした企業との取引は撤収する」と言う、大企業ほど厳しいリスク管理を学んだ。自社内の火の始末は元より、近隣との付き合いや付け火される油断がない事を、日々気を配る事も必要である。