外資系企業の部長だったUさんが、8月末に亡くなられた事を同僚の方から聞いた。その同僚の方もハードな業務のためか療養中との事。U部長は肺がんが見つかり、治療を始めたと昨年知りながら見舞いに行かず悔いが残る。
U部長とは7年前知り得た。1円玉に乗る程度の小さなトランスを作るところが無いとの事で、通算5年間私たちもお手伝いをし、開発してきた技術屋さんであった。僕も他所が出来ないトランスを作る事への挑戦と、アメリカ企業と直接取引が出来る興味があった。
秘守契約により、製品の内容に触れる事は出来ないが、外資系企業の厳しさをかいま見た。会議は日本人も中国人もin English。もちろんメールもそうであるが、同国人同士では母国語でやり取りする。
ある日、その外資系企業の中国工場でアメリカからの執行役員を前にプレゼンテーションをすることになった。息子は中国の大学を出ているのだが、その中国工場でも英語が共通語であり、アメリカの大学を卒業した娘にプレゼンの代理を依頼し、パワーポイントも準備した。
しかし渡航寸前で問題が発生し、私だけが行く事になった。上海からタクシーをチャーターし、寒いすきま風が入る車内で黙々とプレゼンのイメージを作っていた。3時間ほど高速道路を走り、ようやくその工場へ到着。なんでこんな辺鄙なところへアメリカ人は工場を建てたのだろうと思っていたら、規模からみて元国営工場だった外注工場を手に入れたとの事。工場ではUさんが待機しており、日本語が話せることで安堵した。
とうとうその時が来て、会議室のスクリーンへパワーポイントを映し出した。役員のM氏はアメリカから送り込まれた、ばりばりのビジネスマン。朝5時頃から夜中迄働き、メールもどしどしよこす。そして短期に成果を出し長期休暇をとるとのこと。
リハーサル通り商品説明から入り、順調に話し始めることが出来た。しかし原価構成のチャプターで予定外の質問をM氏は投げかけてくる。「原価低減し半値にしろ」と。出来ない理由を説明するのだが、「アメリカでやればもっと安くできる」とかむちゃくちゃな事を言う。こちらも堪忍袋の尾が切れかかり「やるならやってみろ」と言いそうになった。
その気配を察したのか、U部長が間に入り冷静に経過と現状を説明し、矛を収める事が出来た。自分の拙い英語力に嘆き、U部長の適切な説明による助け舟に感謝した。ビジネスの社会で切れた方が負けで、それをしみじみ思い知った。
U部長はお酒もタバコもやるし、急な出張(アメリカや中国)でもすぐ飛んで行き、平気で1ヶ月ぐらい現地にいる。このようなバイタリティーな人間でないと勤まらないのかなと思っていた。昨年、最後の電話で「ガンが発見されたので、退社し治療に専念する」との事だった。すぐにその病院を調べたら、ガン治療に関しては定評のある事を聞いて安心していたのだが。
開発より6年目でその商品が開花し、来年は更に増産との事で喜ばしい情報であった。来月こそ、その同僚の退院祝いを兼ね会社を訪問する。