markdadaoの日記

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エイプリルフールの日

午前中ロータリークラブの事務局より電話有り、「明日の例会に出席とのことですが、本当ですか?」。あれ、おかしいな? 今は出席免除扱いとなっているのだが、と思いつつ「誰からそんな話がありましたか?」。後輩のA君から事務局宛にメールが届いたそうです。「詳しくは直接連絡をしてください」と。

A君はエイプリルフールには、このようなジョークを楽しむ習慣がある。そこですぐに「今日はエイプリルフールですよ。A君にいっぱい食わされましたね?」と応えました。

このような「嘘」は人を動かし、かつ当事者同士楽しませる。こちらも、ちょうど確認したいことがあったのと、現状のクラブ状況を知りたかったので、都合も良かった。そして、A君の人の機微を知るタイムリーなアイデアに感心。

人を傷つけない「嘘」は難しい。良くいわれる「嘘も方便」も、後で事実を知った本人の心に嫌な思いを残さないものか?もちろん私も「嘘」はつくが、相手がにこりと笑ってもらえる「嘘」には修行が必要だ。

「嘘」には罪悪感があり、嘘をついている人は黒目がキョロキョロ。しかし動かなくなる黒目もある。それは嘘を信じてもらいたい、嘘がばれないように自分を叱咤激励している心の現れ。嘘でない黒目は重さがない。だからすぐにわかる。しかし相手の目も見えず、最初から騙しに入ってくる嘘を見向くのは難しい。欲を捨てると、騙すネタが弱くなるので、騙そうとする相手も焦り始め、そこを見抜くしか無い。だからオレオレ詐欺は電話から入るのだろう。

ある二人が私に嘘をついたが、片方の一人が死を目前に「嘘であったこと」を告白した。もう一人はその告白も知らず、嘘を貫き通しているので、これ以上責めて逃げ場を閉ざしてはならぬと、今も私は騙されていることになっている。