markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

近所づきあい

今晩は隣保班の恒例の新年会が近所の和食料理店で開かれた。8件の男性全員が集まるのだが、勤めに出ている人がほとんどで、この席ではないとなかなか会話する機会がない。
独身の時はアパート住まいでもあり、このような付き合いはなかった。しかし、所帯を持ち、このような隣保班の付き合いに出ざるえなくなった。しかし、近所の酒癖の悪いダンプの運ちゃんが、抜き身の日本刀を持って玄関に入ってきたことがあり、近所の人が取り押さえてことなきを得たことがあった。高崎の親類の人たちが言うことには、富岡は昔、任侠の人たちが多かったという話を聞き、恐ろしいところへ来たものだと思った。もちろんすぐに、同じ市内ではあったが引っ越しをした。

26歳で家を持ち、これからは簡単に引っ越しはできないと覚悟した。当時は葬式も自宅でやることが多く、地元の慣習に従い葬式に使う道具を作るために、竹やぶから竹を何本か切ってきて、手慣れた人が籠やいろいろな造作をする。もちろん全員2,3日仕事を休み、炊き出しから坊さんの手配まで準備をする。こっちは会社が心配で、いろいろな理由を付けては会社に顔を出したものだ。会社の人たちも葬式だと言っては、平気で1週間くらい休むのが信じられなかった。
そのくらい近所づきあいを大事にした時代であった。これは農家の繁忙期に、それぞれが仕事を助け合うための名残であることを後から知った。こっちは東京の新宿生まれで、近所はほとんどが勤め人で知る由もなかった。

それから数十年の年月が経ち、葬式は斎場で業者が全てをまかない、隣保班の人たちは、引物の手渡しぐらいの仕事しかなくなった。近所づきあいも希薄になり、ましてや男性は会社の仕事に追われ、地域社会との触れ合いは少なくなってきている。それゆえ、定年退職した男性が地域へ貢献する術の持ち合わせが無く、自宅に引きこもり、それぞれの奥さんの小言の対象となる。
当時の私は、近所では一番若く周りの人たちから良く面倒を見てもらったが、内心はそのような付き合いが煩わしかった。しかし、このようなコミュニティーでの付き合いがベースで、青年会議所ロータリークラブで地域との触れ合いや貢献が出来ることは、今となっては私がそういう意味での小言の対象にはならないのが幸いである。