markdadaoの日記

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スイセンプロジェクト多賀城

多賀城RCメンバーと一緒に昼食を摂った際、私の前に園芸家の田口洋蘭店の田口社長さんが座られた。そこで被災地の心を癒す「スイセンプロジェクト」の経緯をお聞きすることが出来ました。そして被災されたロータリアンがすでに地域に貢献している様子を垣間見た。

俳優柳生博氏のご長男の園芸家柳生真吾さんが突然来られ「被災地を見させてください」とのことで、二人で多賀城市からお隣の塩竈まで歩いて回った。そこで、黄色く咲くスイセンとそのそばに無残にも曲がってしまった桜の木を発見した。
この印象を元に、被災地へスイセンの球根を植えるボランティア事業を始めた。所属している多賀城RCの40周年事業として10,000球のスイセンを記念植栽した。全国から送られたスイセンの球根を植える「スイセンプロジェクト」は多賀城から始まった。
また全国から送っていただいた皆様へ、初春に咲くスイセンの花を見ていただこうとお便りを出す予定だ。スイセン多年草で数年は咲き、また球根には毒素がありネズミなどがかじらないので管理がしやすい。
四国の男木島島データスイセンによる島おこしで成功をしているため、塩竈のロータリアンに話をして、被災した塩竈の小島である桂島復興の為紹介をした。桂島(かつらじま)
その後、男木島から1〜2万球の球根と何人かが指導に来ていただき植栽をした。当時の情景として、島の人たちは「津波が山から降ってきた」と言っていた。


それは太平洋側からの津波が島の山にぶつかり、その波の勢いは反対側に居る人達からは、まさに山から津波が降ってきたように見えたのだそうだ。
ご本人もちょうどその時、秋田に所用で行っておられ、通常4時間ぐらいで帰れるところを12時間かけて戻ってきた。そして本業の洋ランに必要な温度15℃が停電により確保できなくなったため、3ヶ月間かけて元に戻したそうだ。しかしボイラーやその配管は全く使えない状態である。
左の写真は「あやめ園駐車場隣」にある植栽したスイセンの球根。