markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

懐かしの天津市


約20年前、中国天津空港の国内線の機内で上海へ飛び立つのを待っていた。しかしなかなか飛び立とうとはせず、空軍のスクランブルか要人のフライトがあるのか1時間以上も待たされた。外国人は一人も見かけず、不安に押しつぶされるような思いであった。機内服務員がムラサキイモで作ったアイスクリームを配っていた。燃料費節約なのかエンジンが廻っていないので、機内は蒸し暑かった。
そんな中いつか聞いたメロディーがBGMで流れてきた。中国語の歌詞なのだが?「サザンの真夏の太陽だ!」。上海のレコード店で張學友のリメイクした「每天爱你多一些」を探し出し、CDを購入し今でも大事にしている。

当時、国際貿易促進委員会(国貿促)の顧問をやっており定期的に天津へ通っていた。まだビザが必要であったが、国貿促のスタッフ達は天津空港に着いたら3,000円を出せば写真代と称してビザを発給すると言われていたので、その通り通関事務所へ出向いた。時々私の拙い中国語が通じていないのか、私を密入国者扱いした。
こちらも中国のために国貿促の手伝いをしていると言う自負心もあり、また若かったので相当文句を言った。そうしたら空港職員達が私の後ろ首を掴み引き回した。担当者によってはすぐ理解をしてビザを発給するのだが、よく理解していない窓口だとこのようなことになる。毎回争いをして入国するので、最後には1年間のビザ発給を受けたのだが。とにかく当時の中国の役人は威張っており、空港構内は勿論、市内交差点でも公安が笛一吹きで違反した車を止めていた。そのくせ、当時は少なかった民営の食堂では、公安達がタダ酒タダ飯を大きな顔をしてたかっていた。
天津では南海大学にある周恩来が通学していた中学校の彼の机を見に行ったことがあった。机の上は彼のいたづら書きを保存するかのようにアクリルの箱で覆われていた。
いろいろあったが懐かしの天津市であった。