1985年以来国際ロータリーでは世界規模でポリオの撲滅を計るため、WHOとユニセフと協力し多額の寄金を集めています。残りポリオ常在国は4カ国となったのですが、現場を視察する機会もないので、自国のポリオの歴史を私なりの観点で調べ理解を深めようと思いました。
1961年国産ポリオワクチンの在庫が底をつき、超法規的に時の厚生大臣古井喜実が「責任はすべて自分にある」として旧ソ連とカナダから生ワクチンを緊急輸入した。
厚生省官僚や医学界を相手に回し、良く輸入実現できたと思う。時代は婦人会や後の社会党の上田哲氏のポリオ根絶を目指す「上田プラン」も大きな背景になっていたのだろう。このお陰で日本の多くの子供たちから「小児まひ」を救った。と言うことは今、約60歳以下の日本人達はポリオの脅威を避けることが出来たのである。
この政治家は日中間のパイプを孤軍奮闘し維持して、その後の田中角栄の日中国交正常化交渉へと繋げていった。日本の歴史に素晴らしい足跡を残した政治家であっても、地元鳥取への利益誘導をしていないと言うことで落選の憂き目を見ている。
私たちの1票の責任を感じると同時に、このように日本の国民とその将来を考え行動をした骨のある政治家が今は見当たらないことが残念である。TVで政治家達の討論を見ていると、枝葉松葉のことで口角を飛ばしていることが情けない。
当時の状況は根絶目次:上田哲(世界初のポリオ発生ゼロの物語) Eradication of POLIO from Japan1961と、NHK社会部記者の上田哲氏をモデルに描いた映画「われ一粒の麦なれど」で知ることが出来る。
ポリオウィルスは人の身体の中でしか生きていられない。
「生ワクチンを飲んで免疫ができると、野生のウイルスはもうその人には入って来れなくなりますね。すべての人が免疫をもつと、ポリオウイルスはついに行き場所がなくなって野たれ死にするほかはないわけですよ」
「生ワクチンのウイルスはどうなるのでしょうか」
「生ワクチンといっても生きたウイルスであることに変わりはありません。飲んだ人の身体から出て再び他の人に感染しようと思っても、野生ウイルスと同じく行き場所がなくなるわけですよ。野生ウイルスは、あるいは私たちがまだ知らないかくれ家をさがしているかもしれません。しかし、この調査で見る限り、少なくとも今や人の目にふれるところからは消えてしまったということです」
生ワクチンを一斉投与し、ポリオウィルスの根絶に成功した日本。しかしサーベイランス(疫学的追跡調査)の必要性を説く。また、上田哲氏曰く「撲滅」と「根絶」はゼロであるかどうかであり、「根絶」にこだわったと言った。
最近では先進国での不活化ワクチン切り替えが行なわれているそうですが、日本はまだ切り替えが済んでいないようです。参照資料http://www5b.biglobe.ne.jp/~polio/archive/20100318map.pdf
WHOでは、生ポリオワクチン(OPV)を使った場合、新生児100万人あたり、2から4人の、ポリオワクチン由来の麻痺患者(VAPP)が発生するとレポートしています。ポリオが根絶した地域でOPVを使い続けることは、野生株や実験室でのウイルスからの脅威よりリスクが高く、不活化ワクチンか、不活化ワクチンと生ワクチンの組み合わせに変更すべきです