markdadaoの日記

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マキアヴェッリ語録と人間学

運命は、力量によって防備されていないところでは、その強大な力を、思う存分にふるうものだから。予知能力と資金力のある人たちは、自然災害や事故に巻き込まれないように、未然に防ぐ可能性もあるのだが、とくに両者を兼ね備えていないと、運命の餌食になっていることを良く耳にする。

命は、なにか偉大なことを為そうとする時、運命の与える好機に気づき、それを活用する気概にあふれ、才能にも恵まれた人物を選ぶものである。反対に破滅を呼びたいと望む時は、それに適した人物を選ぶものである。成仏する機縁として、「身をすててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言われている。逆境においても腹をくくって希望を捨てなければ、チャンスは訪れる。

好機というものは、すぐさま捕まえないと、逃げ去ってしまうものである。普段からの準備と訓練があってこそ、チャンスの波に乗れる。身体を鍛えておけば、チャンスの時にも無理がきく。肩で息をしていれば、冷静な判断はできない。

次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。第1は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと思ってはならない。第2は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない。一度思わせた敵意は、簡単には消えないもの。だから普段から敵を作らずほどほどの関係を保つ。頭を下げるのは自分に対してではなく、報酬に対してだと知る。

人の為す事業は、動機ではなく、結果から評価されるべきである。社会のためにと始めた事業も、倒産させればいかがなものか?

民衆の気分というものは、はなはだ動揺しやすいのが特質だ。それゆえ彼らの支持を得ることはさして困難なことではないが、その支持を保ち続けることは大変に難しい。これはオバマ大統領や民主党の支持率の推移が物語っている。

人間とは、その本性からして、恩恵を施された場合と同様に、恩恵を施す場合にも義理を感ずるものである。更に借りは忘れても、貸しは忘れないという。

はじめは我が身を守ることだけ考えていた人も、それが達成されるや、今度は他者を攻めることを考えるようになる。20年まえぐらいまでは、国内の10億という過剰人口のなかでの国づくりを考えていたのに、今やアメリカと対等として世界の覇権を考えている発言を聞くことがある。

まったくもって情けない現実だが、人間というものは権力をもてばもつほどそれを下手にしか使えないものである。そして、ますます耐えがたい存在と化すものである。


誰だって、誤りを犯したいと望んで、誤りを犯すわけではない。ただ、晴天の日に、翌日は雨が降るとは考えないだけである。


良い面を残そうとすれば、どうしたって悪い面も同時に残さざるを得ないのである。だからこそ、盛者は必衰なのだろう。