ニューヨーク大学の教授Clay ShirkyがTEDTED その1 - markdadaoの日記でHow conguitive surplus will change the world (知力の余剰が世界を変える) のプレゼンテーションを行った。
この「知力の余剰」とは、世界の人々が大きな目的の為に提供できる能力と定義する。そしてそれは経済では推し量れないものである。世界で1年間、知力の余剰は1兆時間以上あると考えられる。
事例として「危機マッピング」は2008年1月にケニアから起こり、それをオープンソース化し、世界中で活用されるようになった。
最初はくだらない創作であっても創作(表現行為)そのものであり、大事なことはやること(Doing)。創作は徐々に努力により質を高めてゆく。「内因性動機」の重要性とは、言われたからやるのではなく、自発的である。
「抑止論」とは人間行動の論拠となる。事例として、保育園のお迎え遅刻者に対し、金銭的罰を課したら更に遅刻者が増加した。そこでこのルールを止めたが、遅刻者は一向に減少しなかった。逆に罰則をしなかった保育園は、遅刻者の増減変化はなかった。これは罰金制度が保育園の文化を崩壊させ、その罰則を止めても文化の回復には時間がかかることを理解する。しかし、罰則をしなかった保育園では、やりたい放題ではなく、社会的制約を受けて各自行動をしていた。
社会的コンテンツはYouTubeのような参加者の為だけではなく、社会全体が恩恵を得るところにある。そして皆の協力・努力で社会的価値を生み出してゆく。
人の厚意で成り立つ組織は生産性が高く、しかも低コストである。社会的価値あるものを作る人を支持・支援する大切さは、サポートした分だけ世界が変わる。
コメンテーターから、Linuxは世界中のボランティアによって作られている、世界最大の百科事典であるWikipediaも、世界のボランティアが名前も出さず制作する。これらは経済学的に説明が出来ない事象である。従ってこれからは経済の言葉以外で人類の未来を語ることもある。
私達も発展途上国で中古自転車を供与したり、様々な奉仕活動をするが、その国の根幹を変えることが出来ないもどかしさがあった。Clay教授の言葉を借りるならば、奉仕活動をやった分だけ世界が変わったと考えることにする。