markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

山下達郎のライブからプロを思い知らされる

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1 0月21日に大宮ソニックシティ山下達郎のコンサートへ行く。この10年間で3回目、今回もプロの完成度を十分味あわせてもらった。

音楽もさることながら、山下達郎のタフさに感心。3時間のステージで、たった1度、着替えに舞台から離れただけ。イントロのソロのバッキング、歌いながら舞台の最左右まで移動しながらのファンサービス、バンドが下がって、カラオケをソロで、曲の合間のMCは一度も息が切れない。恐るべし。65歳を感じさせないステージ。

プロのミュージシャンがお金を取って、見せる、聞かせるとはこういう事なのか。翻って、自分たちの仕事を省みる。

照明が落ちているステージ上で、中央にあるアンプと左奥にあるアンプから白いLED でShino’sのロゴが際立つ。中央はもちろん山下達郎のアンプで、左奥は佐橋佳幸のそれで、これらはShino’sオーナー篠原さん手作りのアンプであり、それぞれから高評価を受けている。

5年前荻窪にあった篠原さんの工房へ出向き、今は各種トランスを納入させて頂いている。どのプレーヤーが使われているか知る由も無いが、元ギターリストで山下達郎や様々なプレーヤーのギターテクをやっている篠原さんの耳は厳しく、トランスの設計、製造に集中しなければならない。過去に早く納入し喜んでるもらおうとした際、表記を間違え迷惑をかけたことがある。私は今年で50年トランス屋を続けているが、プロになり切れないもどかしさがある。

先代がグループサウンドが流行る前からテスコ等にギターアンプ用トランスを納めていた経緯もあり、バンドをやりながら研究熱心なアンプビルダーである友人のA君から真空管アンプのトランスを依頼された。ほとんどがB to Bの取引であったが、私も昔バンドをやっていた懐かしさより作る事とした。

当初はボランティアのつもりであったが、プロのミュージシャンにも使われるようになり、また個人の方が予算を捻出し楽しみに作られているため、トランス屋のプロとして喜んでいただける製品を作らねばと心している。

 

歴代理事長会議(富岡青年会議所)

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久しぶりに富岡青年会議所の歴代理事長会議に出席する。なんと今晩の2番目の高齢会員であり、今更「青年会議所」とは気恥ずさもある。

しかしその気持ちを抑えても提案したい事があった。それは現役会員の拡充案である。

昨今、在籍者が激減し、卒業した母校が廃校になるケースが日本中で起きている。私にとって「青年会議所」は大人になるための学び舎であり、母校であった。

急な父の他界で大学を中退し、所縁のないこの富岡市に遺した父の会社を継ぎ、無我夢中で20代を過ごし、大人としての常識と友人を求め33歳で「富岡青年会議所」へ入会し、在籍した7年間多くを学んだ。

地方の高齢化が進み、また企業も後継者難となり若手経営者が減少しているのは事実である。富岡市は約5万人の人口で、周辺地域を加算しても10万人はいない。20、30代の男女青年は0.5万人として、例えば100人を入会推挙する事は2%の努力結果である。

私の提案は「OB会員は200人以上いるが、その半数の100人が5年かけて1人を紹介勧誘して欲しい」と。単一年度で多くの会員が増加するより、例えば中期計画として5年間で合計100人が暫時入会した方が、受け皿である現役会員の運営能力に無理がなく、また新規会員の基礎教育にも充分時間がかけられる方が中途退会者を減らせる。

そして、この「5年間で1名」の紹介ルールが富岡JCOBの文化になれば、会員維持への心配が減る。OBからの資金支援は現役会員にとって、当座の運営には助かるだろうが、恒久的な仕組みが必要であろう。

異論もあるだろうが、現在の現役会員の減少はOBにも責任がある、という私見を持っている。会員拡充の仕組みが、毎年の事業運営にあったのか? 現役会員の自己実現の場が提供されていたのか?

次年度理事長の挨拶にあった「会員が納得して楽しめる事業活動」は賛成である。外野から見ていると、人数が減少して一人当たりの負荷が増え、過去のしきたりや事業を整理できず、負の悪循環により「やらされている」感があるように見える。現役会員が楽しめるクリエーティブな活動を、私達OBが微笑みながら見守る「青年会議所活動」であって欲しい。そして恒久的に継続する「富岡青年会議所」を願う。

 

 

「いのちの器」を読んで

 

〈新装版〉いのちの器 (PHP文庫)

〈新装版〉いのちの器 (PHP文庫)

 

 

友人で保険屋さんのS君から保険転換のアドバイスをうけた。理由は、加齢とともに死亡リスクが高まり、掛け金が大幅に増加するからだ。改めて「その日」が近づいてきたことを知らされる。

自分ではまだまだと思っていたが、日本人の男性の平均余命から試算すると私は16年ほどである。ましてや健康年齢(日常生活が制限されることなく生活できる)はその半分の8年ほどとなる。

自分だけは特別だと思いたくなるのだが、世の中の平均は事実である。そもそも病院に担ぎ込まれた際「きっとすぐに回復する」と思いながら、しかし「まさか、まさか」と入院する羽目になる。ましてやベッドに横たわりながら、おもむろにドクターが私の脈をとり始めたら覚悟をしなければならない。

日野原重明先生の「いのちの器」に、ドクターの立場からの小編がある。そしてタイトルの「器」について、「土の器のからだは朽ちても、その中に盛られた健やかな魂は誰かの心に生き続けられる」と言っている。

 

多分駄目だと思う重病を持つ人々ほど春を待つ心が強い。・・・その病人には再び春が訪れることはないかもしれない。病む人の心に春を宿してあげたい気持ちである。

 

徳富蘆花は50歳の誕生日を迎えての随筆「新春」に、

「山の上にも山あり、山の奥にも山がある。人の生の旅はただ登りです」と書いている。人生とは卒業のない旅であり、日は遠からず暮れる。

 

今後、墓のイメージはますます多様化するであろう。・・・家の中で、いつも個人が偲ばれて、悲しみも喜びも、故人と分かち合えるような、故人の好きだったもの、愛用したものが家の中に置かれると良いと思う。

 

1919年に70歳で亡くなったオスラー博士は学者だけでなく臨床医のあるべき生き方を身をもって示した。当時の医学生たちに次のように述べている。

「諸君が生を受けたのは自己のためではなく、他人の幸福のためであることを良く心に覚えるべきである」と。

 

40歳以上の人は、当人はもちろん家族のものも平素から心得てほしい。一番多い危険な緊急事態というのは、心筋梗塞、また動脈瘤破裂、次いで脳卒中、肺炎など。また年配者ではちょっと転んでも骨折を起こすことがある。

 

定年後の第三の人生は、自分の意思と計画と趣味とで自分が選択する生き方を地でいける最後の人生である。

哲学者谷川徹三氏はこう言っている。「生は問い、死は答え」だと。第三の人生をどう生きるかのデザインが、どう死ぬかの答えでもあろう。

 

からだが痛み、心が悩み悲しみ、起き上がる気力を失った時、誰かが、もしそれを周辺の親しいものから得られなければ、社会が、その身も心も傷んでいる人間を支える配慮をし、国家がその社会を支える政策を立てなければならない。

一方、支えを受ける側として考えねばならぬことも多い。病気に耐え、気丈に生きるには、何を心の支えにすべきかを。

 

戦争中耐えることを学んだ人は、地球の各所で苦しみに耐えている人の心がわかると思う。物が多いと、貧しい人の気持ちをいたわる感性が養われない。・・・富める文明は、人間にとっては不幸とも言えよう。

 

人から直接間接に受けた愛の労苦を無駄にしないということも、私たちが健やかに生きる道だと思う。

 

良寛が亡くなる前に、良寛に心を寄せた貞心尼が読んだという句がある。

「うらをみせておもてをみせて散るもみじ」

めいめいに与えられた環境、まためいめいが築き上げた環境の中で、人は散っていく。その時の姿は、人間の最後に生きる姿であり、また死ぬ姿でもある。老人はもっと自らの色素で染め、風が吹けばお迎えの風に乗って、大地に還るという自然の心を持ちたいと思う。

 

フィリップ・タマルティ教授は「希望は人間が生きていく上で欠くべからざるものの一つであり、これがないと人生は暗く、冷たく、欲求不満を起こさせることになる・・・、わずかでも、とにかく希望があれば、人は困難に耐えられ、なおも夢をみたり、空想もし、計画を立て、手をさしのべて生を取り込むことができる」

 

「告知後の毎日をどうその患者と対決していくつもりか、それだけの人間的力量をはたして医師に期待してよいものか」

告知した後の主治医には、からだと心に十字架のように重い負担を背負う覚悟と、それを実践させる現実の行動力の用意があるか。

 

人とのコミュニケーションで最も必要なのは、視覚より聴覚である。見えなくても人の声が、言葉が聞こえれば、人は反応する。

老人には、外界との接触、コミュニケーションが保たれる場を、周囲の者で作ってあげ、その中で老人が生き甲斐を感じるように配慮すべきである。

 

患者は、気管内に管が入っているため、臨終の際に一言も、発語できない。・・・人間の最期は、孤独で、はかなく、人生の中で一番の不幸な時が、最後に来るという感じを強くするのである。ひと言も、ものが言えずに死ぬことは、なんと淋しく、切ないことであろうか・

終末医療を有終の医療にすることはできないのか。古き時代に、老人はもちろん、多くの病人はそれほど苦しまないで静かに死んでいったのに。

 

 

「戦争調査会」(幻の政府文章を読み解く)を読んで

 

 

1956年、東京生まれ。現在学習院大学学長、法学博士の井上寿一氏の著による「戦争調査会」は8月の終戦記念日に読もうと思い購入しておいたが、読後感想が9月になってしまった。

これは、太平洋戦争直後の東久邇宮内閣の後継首班として、70歳を超えた幣原喜重郎首相による戦争を検証する国家プロジェクトである。

この「戦争調査会」の貴重な資料を読み解いたこの書籍は、「おわりに」の章にある「近隣諸国との歴史認識の決着への糸口になろう」に期待。また、戦争体験への継承として「戦争の時代の全体像を考え続ける・歴史的な想像力を鍛える・有益な参考書類にしなければならない」と著者は言う。最後に歴史研究の社会的な責任として、「戦争調査会に学ぶべきは、社会に役立つ歴史研究の重要性である」と。

私たちの世代では東条英機等による戦争への突入などと教わってきたが、一読して感じるのは、誰一人戦争を目的としてはいなかった、そしてあらゆるタイミングで戦争を回避、または早く戦争を終結する機会はあったということ。

しかし、軍隊の中堅クラスの言動、国民による大衆主義(ポピュリズム)の流れ、マスコミのプロパガンダによる世論誘導などが複合的に戦争への扉を開かせたのではないかと思う。

最近の、A新聞などのマスコミ誘導や近隣諸国との紛争への誘発記事、イギリスのポピュリズムによるEU離脱アメリカのトランプ大統領の誕生など考えさせられる。そして、財務省による自衛隊への予算の締め付けと、頻繁に発生している自然災害への動員により自衛隊隊員たちの不満が爆発すれば気をつけなければならない。我々を守ってくれる彼らを尊敬し、むしろ基地のある地元のロータリークラブライオンズクラブに会員として迎え入れるべきだろう。昔、相馬原駐屯地のトップの方の講話を聞いた際、なかなかの人物であると関心した思い出がある。

一方、中国や北朝鮮の挑発により、必然的に日本の自衛隊の軍備増強が叫ばれている現在の状況では、条件が整備され始めている。我々は外交交渉のための軍備増強であって、本当に戦うための増強ではあってはならないと、いくらマスコミが国力を臭わせても心すべきである。

最後に幣原首相は「我 敗戦の原因何処に在るかは 今後新日本の建設に欠くべからざる資料を供するものなり」と終戦善後策の第4条に記載している。多くの人がこの「戦争調査会」の資料に関心をもち、様々な意見の交流を望みます。

 

 

出力トランスの設計思想とお客様の声

 

 


Never say never『メニィ』

jNB04

埼玉にある楽器店フォーチューン様より以下のようなうれしいご報告をいただきました。

http://fortunemusicalinstruments.web.fc2.com/

 

アテネ電機様にて製作して頂きました100W用電源トランス、出力トランスを搭載しましたマーシャル1959系のアンプヘッド、100W用出力トランスを搭載しましたPeavey 5150-Ⅱヘッド (どちらも使用スピーカーはセレッション社製になります。)

 此方の機材を使用して録音されましたバンドの音源を視聴できるようになりましたので、URLをお送り致します。 

https://www.youtube.com/watch?time_continue=111&v=JhjH-m

バンド名は、Never say never になります。

 

実際に音を聴いての感想ですが、1959系、5150-Ⅱともに、歪ませない時のアルペジオから歪ませた時のコード弾きでも各弦の分離が大変良いと感じました。

 「バンドアンサンブルでも埋もれる事がなく、大変扱い易いです。」と使用しているギタリストからも好評を得ております。

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以下はうちのテクニカルアドバイザーのコメント。

このPeavey 5150 -Ⅱに搭載された出力トランスAGOT-24は中域音源を重視した設計を行い、100Wを通過させる下限周波数を70Hzとしました。試作品を製作し測定2%歪の周波数は70Hzになっていました。

出力管は6LIGCパラプッシュプルとのことでZp=2.5KΩ、2次側は4,8,16Ωの直列巻線が3組あり、それぞれの巻線間に1次巻線がサンドイッチされています。各1次巻線はP1-B,B-P2用の巻線が配置され、並列接続されています。この巻線構造によりP1-B,B-P2の直流抵抗はより等しい値になった。また、1次巻線と2次巻線の相対位置に対称性があり、周波数特性がより平たんにすることが出来ました。

この結果、下記のような感想をいただきました。

 

純正トランスでの感想は

 「ドン・シャリの音は嫌いではないけれども、ローからミドル域での音の抜けと分離が悪い。コレを何とか解消出来ないか・・・。」

 というモノでした。

 

 トランス(アテネ製)へ変更し、ボリューム2くらいで試奏した際の感想は

 「音の分離が良くなっていて、コード弾き時の2・3・4弦の音がちゃんと聞き分けられる。プリ・ゲインを通常より若干低く設定しても歪み感が増しており、嫌み無い音になっている。とにかく、音の纏まりが良い!」

 との評価を頂きました。

 

www.atenecorp.com

 

 

今の選挙制度がちょっと心配

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衆参国会議員の国政選挙で、私の住む地域では選ぶ自由が無い状態が続いている。小選挙区比例代表並立制のため、なんとか比例代表では選択の自由を確保しているが。1票の格差問題や1強多弱な状況は、現状の日本の小選挙区制の限界がきているのではと思う。

都市圏の人口集中と地方の過疎化は、若者が都市に刺激を求め、地方では就労先や魅力が乏しいことが主な原因だろう。これは東京一極集中のリスク回避として、政治経済の地方分散が具体的に行われていない結果でもある。

また、アメリカやイギリスを参考に2大政党を目論んだ小選挙区制が、日本には馴染んでいないことも原因で、そもそも日本では歴史的に宗教観も「八百万の神」や最近では無神教者が多い。そして単一国家と言いながら、それぞれの価値観は多様化している。実際アメリカでも共和党はトランプ派とアンチトランプ派で分裂しているではないか。国内では与党自民党への対抗軸としてなり得る野党が無く、1強多弱が現実である。

コストがかかると言われる大選挙区制は、候補者が街頭演説に出向いたり、莫大なポスターを貼るのでは無く、せっかくのネット社会が進んでいるのだから、自分の理念をネットやマスコミに発表できる。しかし内容の乏しいタレント議員をふるいにかけるため、政治理念やその時々の政治課題を発表し、選挙民が審査をすれば良いことだろう。もちろんゴーストライターによる作文では困るため、各地域において各政党や無所属の候補者がファシリテーターの議事進行によるオープン会議に義務参加し、翌日のマスコミでこの候補者はこんなバカなことを言っていると書き立てれば、まともな候補者に絞り込まれてゆく。

冒頭、選挙に自由が無いと言った真の狙いは、今の日本の外交環境が著しく変わってきており、それへの新たな戦略と対応が求められていること、国の金の使い方に間違いがあり治山地水の整備が遅れ、毎年数百人以上が犠牲になっていること、景況感に乏しく安いものしか売れ無い状況が続いていることなどで、国政の政治家の資質に懸念を抱いているからである。国会議員は地方の代表では無く、日本国民全員の代表として舵取りをしてもらいたいのである。

中国のある町の若手役人たち

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上記写真は榎本富岡市長と太倉市副市長

中国で起業している友人(臭豆腐が好きな日本人)からの依頼で招請状(invitation)の発行を数ヶ月前にした。来日してトラブルが発生すれば道義的責任が生じるが、信頼出来る友人の依頼でもあり快諾した。

以前、天津国際貿易促進委員会の顧問をやっていた頃は、相手の人物も多少知っており日本の外務大臣あてに招請状の依頼と身元保証をしていた。

最近は入管も中国人へのビザ発給を緩和しているが、中国の役人はどうも国内事情で招請状が無いと出国が難しいようである。

そして今月の某日、彼ら5人は成田空港へ到着し、そのまま群馬へやってきた。幸い息子が中国の大学を卒業していたので、会話の助けになった。更にその中の3人は英語も多少話せた。

弊社で打ち合わせをしたあと、富岡製糸場を見学する。中国にもレンガ造りの建物は多いが、100年以上経過した大きな建物の屋根の稜線が歪んで無い事に驚嘆していた。私としては日本の近代産業の発祥のシンボルとしての価値を説明したかったのだが。

その後、表敬訪問に新庁舎の市役所へ出向く。榎本君が新市長になり多忙と思い、久しぶりであった。しばらくお互いの市の紹介を行い、その後記念撮影。中国のおカイコは日本より小さいと言う。また、富岡市の風景が彼らの太倉市に似ているとの印象。

市役所から近くの日本料理屋「ときわ荘」へ出向き、その日本庭園にそれぞれはカメラを向ける。ここの当主であり包丁を握る島崎君 は京都で修行をし、京懐石を楽しむ事となった。驚いた事は、しゃぶしゃぶで生卵に彼らはためらっていた。そこで、卵を煮えたしゃぶしゃぶの器に入れたら、皆真似をする。聞いたところ、中国では非衛生のため、卵は生で食べないとの事。

すっかり遅くなってしまったが、予約してある新宿のホテルへ。明日はアメリカのワシントンDCへ行くそうだ。以前そこでは香辛料の効いた蟹が美味かったと言うと、メモを取っていた。しかし30年も前の事で今はその店があるかどうか?

一番の関心事を聞いてみた。中米貿易関税の影響はこの町でも出てきていると、副市長は苦虫を潰して言った。ドイツに次いでアメリカ企業の進出が多いこの地方都市も、無視出来ない国際問題であろう。

なにはともあれ、日本、アメリカを視察する中国の若手役人は、見聞を広める事になる。国の都合もあるが、それに盲信せず良識をもってもらいたい。太倉市では、5月の短期間ではあるが刀の様に細い揚子江の魚が絶品との事。訪中する機会があれば是非寄りたい。

太倉市 - Wikipedia

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マイクロプラスチックは海にいる魚の総重量を超える

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2050年には海に廃棄されたマイクロプラスチックのゴミ(直径5mm以下)が、魚の総重量を超えるとのショッキングな話を聞いた。魚がエサと間違えて飲み込み、生態系や、魚を食べた人間にも影響を及ぼしかねない。

 

生分解性プラスチックのコストが量産効果により下がれば、一挙に問題は解決できるだろうに。世界ではマイクロプラスチックを「使わせない」様々な法律を立案しているが、逆に、例えば、スマホのケースは全て完全生分解性プラスチックを「義務として使う」立案で量産によるコスト低減を実現できないものか?

そのためには耐久性のある完全生分解の出来る、革新的なプラスチックが開発されるのでは。それを使用しなければ、質量に応じてペナルティを課し、その収益を世界的な共同研究開発組織に投資する。

 

プラスチック製品はとても便利でいろいろなものに使われてきたが、ここらでその「つけ」を払わないとならなくなってきている。日本ではリサイクルが主体となっているが、世界では「使用しないこと」と聞く。

 

日々の生活を省みると、無意識にプラスチックレスを行なっていただが、これだけではどうにもならない。

  • トランスの仕事ではお客様のコスト負担と要求特性をご理解いただければ、プラスチックボビンを紙ボビンに、プラスチックフィルムをクラフト紙の絶縁材に変更。この製作方法の出力トランスの方が実は音は良い。
  • 買物時は店にあるダンボール箱を再利用し、使用後はまとめて地域の有価資源に提供。少量の購入は支払い済み証明のテープを貼ってもらいレジ袋は断る。
  • 外出時は、水筒にノンカフェインである麦茶を入れ、熱中症対策をしている。
  • 自宅では切り欠きの飲み口がある、蓋つきコップでストローを使わない。
  • 生ゴミは防水性の紙袋に入れ、捨てる際は軽くプレスし水分を切り焼却ゴミとして出す。

 

 

「父性の復権」を読んで

 

父性の復権 (中公新書)

父性の復権 (中公新書)

 

 

著者は1937年に長野で生まれ、深層心理学がご専攻の林道義氏。

私の父は軍人であり怖く遠い存在であった。青年期になり幾分距離が狭まってきたが、私が成人になる直前、父は他界した。自分が人の親になり、父を無意識に反面教師として、子には友達のように接しようとしたが。

この著者は「友達のような父親」は実は父ではない。『父とは子供に文化を伝える者である。伝えるとは価値観を押し付けることである。上下の関係があり、権威を持っていてはじめてそれができる。』と、冒頭に言い切る。

そして、『「父」は楽で自然ではいけない。そもそも父とは無理をしなければ務まらない役目であり、母が「自然」であるとすれば父は「理想」なのだ。父とはもともと「しんどい」ものであり、「しんどさ」に耐え、理想を追求するのでないなら存在意義がなくなる』とまで言ってる。以下に関心あるところを抜粋する。

 

家族の形成について:二足歩行に移行して人類となったため、脳が大きくなり、成熟した子供は産道を通ることができない。そのため、身体が未熟なうちに産まなければならなくなった。猿のように自分の力で母親にしがみつくことができないので、人間の母親は常に子供を抱くため、少なくとも片手をふさがれ行動が制約される。初期人類のオスは、この母子を見捨てないで、母とカップルを形成し、父となり、母子の面倒を見ることになった。

 

父性が最も必要とされるのは子供の健全な心理的発達にとってである。

 

母が子供の世話をするとき、最も大切なことは母の心が安定していることである。母の心が安定しているためには、夫との関係が良好であることが決定的に重要である。いったん母体と離れた新生児は、改めて心理的に母と結合しなければならない。

 

母子共生の中にいる子供にとっての最初の対象が父である。父は子供の好奇心の対象であり、母より強い反応で応え、また刺激を与えて子供の強い反応を導き出す。

 

子供は父親の望んでいるような、あるいは父親の理想としているような男性なり女性になろうとする傾向をもっている。

 

文化とは「人間が学習によって社会から習得した生活の仕方の総称」であり、文化によって人類は互いに協力してより高い、より美しい生活を営むことができるようになったのである。これを継承し、必要ならば革新するのが父性の大切な役目である。

 

家族の各メンバーの欲求や感情、希望や目標を父親はそれらが互いに競争し合うことなく、協力し合うように調整し、それぞれを全体の価値観の中で一人一人のあり方が決まっており、お互いに助け合ってそれぞれの目標を実現するという協力関係を作り上げ、秩序づけるのが父性の役目である。

 

幼児に絵を描かせると、必ずと言っていいほど太陽を描く。それは幼児が自己中心の世界にいるからである。学童期に入ると自分を客観視しはじめるために、ほとんど太陽を描かなくなる。つまり自分を世界の中心とは見なくなるのである。大人になっても太陽の絵を描くのが分裂病の患者である。

 

抽象的な高い原理を示し、それを中心にして家族の生活全体を構成し、抽象的な原理を具体的な場面場面に適用することを子供に学ばせること。

 

「価値の多様化」とは、個々人は自分の価値をしっかり持った上で、その価値がいろいろであるという状態。しかし現在の「価値の多様化」は、社会的に価値が多様化している中で、一人一人がどの価値を選びとっていいか分からないという状態であり、「価値の喪失」の時代と言うべきなのである。

 

最高責任者のはずの政治家は官僚任せ、官僚は現場任せ、現場は上司の指令待ち、ということでは、誰も責任をもって判断する人がいない。結果は被害者だけが苦しめられるということになってしまう。

 

リーダーの選び方:日本人は、何もしないことに対してはあまり批判されないが、何かをして失敗すると辞職させられるほどに非難が集中するという体質。人格と能力を基準にしてなされていない。たとえ能力で選ばれたとしても、その能力が記憶力を中心とした学力だけ、判断力と決断力はほとんど考慮されていない。大切な地位には能力のある人を選び、十分に腕をふるってもらおうという意識がなく、逆に能力のある人の足を引っ張ったり、いじめたりするという体質が根強い。

  

民族の文化を次代に伝えていく中で、子供の構成力を養っていくのが父性の大切な役割。父が主導する非日常的な行為が、何か特別な意味と感覚をもって子供の心に染み透るのである。

 

父親が子供と遊び、また何かを教えるということは、そのことだけにとどまらないで、もっと大切な精神ないしは感覚を伝えているのだということを自覚してほしいものである。

 

感情だの無意識だのが働いてはいけないところでは、抑えることができることが、価値からの自由とか、無意識からの自由という意味なのである。

 

 

戦後民主主義の元で育った世代の人たちは、権威と権威主義とを混同して、権威そのものが悪いと考えている人が多い。子供が健全に育つためには、健全な権威が必要である。特に男の子にとっては、父の権威が正しく機能することが是非とも必要である。

権威を成り立たせる4つの条件。能力、信頼、知恵、愛。

 

子供が自我を形成していくときに、二つの重要な要素がある。第一反抗期の頃(3歳まで、せめて5歳まで)、秩序感覚を身につける。第二反抗期の頃、社会規範を学び普遍的な価値観を持つこと。

 

戦中派ー団塊世代団塊ジュニアという、親ー子ー孫の世代交替の中で、戦中派の心理状態と関心は敗戦時でストップしており、戦中派は稀有の戦争体験によって種々の外傷体験を持ち、強烈なコンプレックス(あらゆる価値を信じることはできない)により父性が欠如した。それが子供の世代である団塊の世代にも一定の刻印を与え、さらに孫の世代までも少なからず影響を及ぼしている。

父性を持って育てられなかった団塊の世代の最大の特徴は「親子の対等」を理想にしている親が多い。また、この世代は「自主性を重んじなければならない、押し付けはいけない」という価値観を持っているため、しつけができない。自主性とは、あらかじめ価値観があってはじめて持ちうるもの、ということがわかっていない。

親子関係が対等であれば、子供は親から自立しようという衝動が出にくい。権威をもっているからこそ、子供はその親から自立し、親を乗り越えようとする。

電車の中でマンガを読んでいるのは、団塊の世代から始まった現象。権威そのものを否定し、大人の価値を否定し、大人への移行を否定する価値観から出た、確信犯的な行動。

 

「父性の復権

父性と男性性は違う。男らしくても父性のない人はいる。父性とは家族に対する関係や態度。

「子供は親の背中を見て育つ」は逃げ、子供の方へ向いて、子供に働きかける存在でなければならない。

一方的なアクのある「語り」を持って父の考えを一方的に示す。父親が死んでから、家族に強烈な思い出が残るような父親が、良い父親である。

子供が一度でも父親から感動を与えられたり、父親の意見が参考になったことがあれば、一般論を論じるふりをして、子供はそこから何かを掴んで参考にする。

与謝野晶子は「美的感覚が道徳の基礎」と言っている。教育の中での美的感覚についてもっと重視していいのではないか。「ふさわしいか、ふさわしくないか」、「人間としての品位」も教育の基準として入れたい。

 

 

 

峯岸正典老師の講演会

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曹洞宗護持会「微笑会」の記念講演に峯岸さんが講演をされるとの事、5月19日、甘楽町文化会館へ赴く。

老師は上智大学大学院を卒業され、愛媛県瑞応寺で修行。その後ドイツの修道院で修道生活を体験され、ミュンヘン大学で神学を学ぶ。そして宗教間対話研究所を開催し、永平寺の国際部の講師等を歴任。NHK「こころの時代」「ラジオ深夜便」「宗教の時間」に出演、国内外において禅を説いているとのことです。下仁田町本宿「長楽寺」住職。

 

演題は「菩薩の誓願・・君のためにできること

舞台中央の演題で訥々と語られるかと思いきや、「今日はパワーポイントでやります」と。笑いネタを混じえ観客の関心を掴みながら話し始める。以下に主だった内容を記す。

 

拈華微笑(ねんげみしょう)とはお釈迦様が花を拈り、弟子のマカカショウ様が一人微笑む。(分かったという意)→私たちは同じ世界を分かち合っている。

 

お釈迦様がある晩、ラーフラ(お釈迦様の子供)へ「まさに苦を忍ぶべし」と説いた

「苦」とは思い通りにならないこと。四苦八苦とは①生、②老、③病、④死、⑤愛別離苦、⑥怨憎会苦、⑦求不得苦、⑧五蘊盛苦

求不得苦とは欠けた月がまた満ちることにより「若返る」とし、月に変若水(おちみず)があるとされており、それを飲むことで不老不死の薬となる。不死とは不老長寿であり最終的な欲望である。これは求めても得られないもの。

五蘊盛苦とは人間の心身活動を5つにわかられるとし、色(身体)、受(感覚)、想(概念)、行(心で決めたこと)、識(記憶)がありそれぞれに執着することが苦であると説いている。

「苦」の意義。苦とは私たちを磨く砥石である。「苦」(煩悩・執着)がないと人間的に成長できない。苦と向き合うということは煩悩と向き合うことであり、そこに気づき(覚り)が生まれる。

「苦」を生かした人として日野原重明先生を紹介。経験より患者に「寄り添う」医療を信念とした。その寿命を、自分のために有効に使うことも大切だけれど、他人のためにも使って欲しい。他人のために自分の時間を使う人を「菩薩(ぼさつ)」と言う。

 

禅問答として楢崎一光老師に峯岸老師は「いかなるか これ出家と在家の違いは?」(坊さんと一般人)

「ともに道を求める菩薩なり」との答え。

 

「遠慮」とは遠くにおもんばかること。その「遠い」とは困っている人がいるところ。

 

「人生は死ぬか 精一杯生きるか」だよ。

 

言葉の大切さ:1つの言葉に泣き、1つの言葉に笑う、そして、1つの言葉でつまずき、1つの言葉でよみがえる。 (出典:中西智海勧学)

 

今日が人生最後の日だとしても、今日する予定のことをしたいと思うか (出典:スティーブ・ジョブスApple創業者)

 

「今日が人生最後の日」「ある中で一番良いウイスキーを飲む」 (出典:帯津三敬病院 帯津敬三先生)

 

逆算の人生:人生の最後を思って今を生きる→死を考える→本当に大切なものが見えてくる→生き方上手になる。

 

雨が降らないと虹は出ない:辛いこと、苦しいことがあって、はじめて、美しく大切なものに気がつき、喜びがある。

 

年をとった、身体の具合が悪い、自分を卑下することなかれ。

 

心の残る生き方:桜は咲いている時も美しいが、散ってからより一層、その美しさがしのばれる。

有限であるからこそ、美しく生きることができる。

 

 

 

難しい事を言っているのはまだまだで、誰にでもわかるように話されるのが本物であり、特に宗教という大哲学を咀嚼して語るのは並大抵ではないと思う。大西良慶清水寺管主の卓話集を読むとそれがわかる。峯岸老師も難しいことは言わず、わかりやすく、また表情を崩さず面白いことを言う。

私は初めて長楽寺へ赴き、話をしながら不覚にも涙を流した思い出があり、今回も別れ際に「またいらしてください」との挨拶言葉に赤面する思いであった。