markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

Fender BASSMANについて

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弊社アンプ技術顧問のBASSMANについてのあれこれ。

 

まずは、4X10BASSMANについて。これは4X10でわかるように、10インチスピーカーを4発載せたコンボ型ベースアンプを意味しています。15インチスピーカーが1発で製作を始めたフェンダーのベースアンプでしたが、1954年より10インチを4発の仕様に進化した4X10がデビューしました。これは「小さなスピーカーでも数を増やしトータルの表面積を大きくすれば、よりベース向きのサウンドが得られるはず」、という考えからでした。

1954年よりスタートした4X10のこのアンプ、回路は数年間で何度も変更されます。それらは古い順に、5D6、5E6、5E6A、5F6、5F6Aの5つのバージョンとなっています。最期の5F6Aは1959年から1960年頃のバージョンとなり、これが現在でも人気のある、’59BASSMANと呼ばれるものです。またこれらは全てキャビネットツイード張りのため、ツイードベースマンとも呼ばれ親しまれており、現在でもリイシューモデルとして発売されています。

また、これらはコンボ型で真空管方式のため高熱が発生し、キャビネット背面を塞ぐことができず、当然ながらオープンバックとなります。それ故、実際にはベースプレイヤーよりもギターリスト達に好まれるサウンドとなっているのです。

また、多くのアンプビルダーは、リイシューモデルをできるだけ本物に近いヴィンテージ仕様に作り直したいというご希望もあるようです。

  

オリジナル(ヴィンテージ)とリイシュー品との違いは多々あり、主な点を以下に記載し、改造時の参考にまとめました。

 

  •  キャビネット;形状、寸法はほぼ同じだが、材質はヴィンテージがパイン材の単板に対しリイシューは合成材が使われています。

  •  シャーシー;寸法等あまり違いはありません。 
  • パワートランス;B巻線の電圧が、リイシューは高すぎるため、これはオリジナル通りにAC325Vのトランスに交換が必要。 
  • 真空管;初段プリアンプ管は12AY7がオリジナル、リイシューは12AX7でハイゲインになっています。

  •  配線用ボード等;オリジナルは当時のフェンダー独特の黒いファイバーボードに配線用ハトメを打ち込んだもので、当然ハンドワイヤリングとなっています。リイシューはプリントサーキットボードで、CR類も全て近年の小型なものが使用され、耐圧等も極限まで小さく、バーンアウトしてしまう事故もあります。 

  • バイアス調整;これが一番の問題点で、リイシューでは出力管のバイアス調整ポットが省かれており、これは必ず装備する必要があります。
  • リイシューでは、コントロールパネル上にあるグラウンドスイッチは、全く配線されていないダミーとなっています。

 

ざっとこんな感じですが、アンプビルダーがどこまでこだわるかによりますが、もっと追求するならばキャビネットから自作するしかありません。そして、良質なパイン材を入手したり加工するための工具・治具等までそろえる必要があります。ツイード生地は現在でもキットメーカー等で容易に入手は可能です。仕上げにラッカーを塗れば、かなりヴィンテージに近づきます。

 

サーキットボードもキットメーカー等で似たものが入手可能のため、ハンドワイヤリング化自体は難しくありません。

 

ちなみに、C・R類は、例えばA/B社製のカーボンコンポジット抵抗等は、まだまだ入手は可能。ただし注意したいのは電解コンデンサで、未使用のオールドストック品は寿命があり使うことはできません。現行品の中から雰囲気の似たものをチョイスするしかないようです。

 

**オタク情報・・・・古くからの回路図も公表されていますが、実はトーン回路のフィルムコンデンサ2個組み合わせの値は実際には大きく、作られたものと違っています。後期に制作されたものは回路図通りのようですが、数は少ないと思われます。音的には回路図通りのものが良いとされています。マーシャルが詳しく知らずに回路図通りコピーしてJTM45を作り好評化だったのは、このブラインドラックのせいだと言う人もいます。

ドクター石井のインフルエンザ診断見解

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親友のドクター石井君よりインフルエンザに関するコメントをいただきましたので、ブログにアップさせていただき、万が一の医療受診の際の参考にして下さい。

 

 

連日インフルエンザに関しての報道を目にします。しかし、特に診断に関し、患者さん方が誤解をするような記載が時折気になり、私が学会や研究会で使用したスライドを使って私なりの見解を説明させていただきます。

産経新聞H.31.2.2の「インフル流行複数回罹患も」という記事に、

Q:「かかったことをどう確認するのか」
A:「医療機関に行くと細い綿棒のようなもので、喉の奥や鼻の奥をこすって、付着物で陽性か陰性か判定できる」、

とありました。この、記載は少しばかし問題があると思いました。


下のスライドは2009年新型インフルエンザの際に出された資料です。

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新聞の記事は、簡易検査の結果だけでその診断が出来るように読み取れます。しかし、ここにも記載されていますように、本来、インフルエンザの診断に際しては、「臨床症状、および簡易迅速検査の結果を踏まえ医師が診断する」と明記されています。私自身はさらに、「流行状況も踏まえ」という一文を追加しては…、と考えます。

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このスライドは、新型インフルエンザが発生した当時、2009年に発行された「新型インフルエンザ対策実践ガイド」に記載されたものです。すでに10年前の資料ですので、簡易検査の精度はもっと上昇しているかと思われますが、決して100%でないということはご理解ください。

下記スライドにあります、診断に際し、この「簡易検査だけに頼る」ということについて、東北大学の渡辺先生は,すでに2014年には警鐘を鳴らされています。

 

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また、2013年に日本臨床内科医会インフルエンザ研究班の班長である河合先生は、「インフルエンザ」という文献の中で、上記のように記載され、同年の「厚労省インフルエンザQ&A平成25年度(2013年度)インフルエンザの予防・治療について」も、「医師が診断し医師の判断で抗インフルエンザ薬の使用を考慮」と明記してあります。どこにも簡易検査の結果のみで診断する、とは記載されていません。


 
私自身、簡易検査を行った際に陽性に出たら、「よかった、インフルエンザだ」と口にしてしまいます。

と言うのは、抗インフルエンザ薬を投薬した翌々日には、ほとんどの症例で、症状は著明に軽快するため,むしろインフルエンザと診断でき、患者さんを慮って治療を始めることで,我々は安堵するわけです。

多くのインフルエンザ症例は、抗インフルエンザ薬を使用しなくても、自然に治癒することがあり,抗インフルエンザ薬の使用に関しては様々な意見があります。

しかし、免疫力の低下した方、乳幼児のインフルエンザ脳症の発生を考えると、やはり、インフルエンザは大変な疾患であり,その診断の根拠は重要な意味があると思います。

ですから,患者さんたちに正確な情報を伝えるという観点からも,報道の内容は考慮してほしいと思います。ただ,医療従事者の方々でも、ここに記したことを知らない方も多いかも…。

このような情報も参考に、受診してみてはいかがですか?
                 (2019.2.3 石井良幸)

ishii-iinn-tachikawa.com

 

古稀に近いじいさん、ジャズライブでデビュー

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今晩は、富岡市にあるカフェラウンジ・ココでJAZZのライブが行われた。

music-coco.com

バンドは高崎にあるジャズスポットK-noteのマスター松井さん率いるTJQ(富岡ジャズクインテット)。アルトサックスの松井さん、ピアニストの斎藤さん、ドラムスの今井さんは富岡在住者で、助っ人に松井田のベイシストの細谷さん、そしてボーカルは玉村の長井さんの編成です。

k-note.sakura.ne.jp

実は昨晩遅く、レギュラーのドラムス小島さんが緊急入院され、バンマスの松井さんのつてで後輩のドラムス今井さんを依頼し、今晩のセッションに間に合わせたわけです。業界用語で「トラ」(エキストラの略)と言いますが、6時の演奏開始に向けて、3時過ぎよりリハーサルを行い、1部、2部あわせて予定された16曲が演奏されました。

今年、新たなるバンドを作ろうと昨年末より準備を始め、松井さんにもお手伝いをお願いした経緯があり、逆に松井さんより1,2曲歌の依頼があり、今晩、古稀に近いじいさんの初デビューととなりました。

生オケでは歌詞カードを用意しても、カラオケのようにメロディーにあわせ文字の色が変わるわけではなく、また歌詞を暗記しようと思っても記憶力が低下し、なかなか覚えられない。カラオケは音痴を無くしたとの効果もあるが、生オケでは歌詞やメロディーに乗せて歌うことができなくなってしまったことに驚いた。高校時代はアカペラで暗譜して歌えたのに・・・。

この1ヶ月、何度もCDを聞き、歌詞を手書きし、英語の詞の意味を理解し、ストーリーをイメージしても単語が出てこない有様であった。問題は英語の詩を訳し、日本語でストーリーを理解すると英語の歌詞が出てこない。英語でストーリーを理解するしかないが、現実は無理である。やむおえず譜面台を用意し、A3の用紙に大文字で歌詞カードを作り本番に挑みました。

ボーカルはセッションバンドの場合、テンポの設定を自分で決めなければならない。その前に自分の音域にあわせキーを決定しなければならない。そしてお客様へ歌いながらアイコンタクトをし、歌詞の意味を伝えながら共感をよび起こす。従って、本来のボーカリストは歌詞を覚えていることが条件であろう。実際、ボーカルの長井さんは全て暗記していた。すごい!

2部の3、4曲目が出番なのだが、2部が始まってから緊張してきた。これはまずいと思い、自分の役割を考えた。これは以前JCやロータリーでスピーチや講演をする際、「自分のため」ではなく「人のため」と思うと、実力以上のことをやろうと思わなくなり、「お客さんに、どうやって理解してもらおうか?」と視点が代わり、あがることがなくなる経験があった。

そして幸い、出番の直前の曲がサンバのリズムで、楽しんでいたらドキドキすることを忘れてしまった。バンマスにゲストとして呼ばれステージに立ったら、マイクのコードが引っかかり、それを戻すのにもたもたしていたら、客先からアドバイスがあり話をしながらリラックスしてしまった。

「私がここでなぜ歌うのか? それはフルコースで美味しい料理でも続くと飽きるので、私は箸休めの役割があり、私が歌い終わればメインの女性ボーカルに対し『やっぱり男より女性の方がいいな』と思っていただける。そして、私が歌っている間にトイレに行きたい人は行ってください」と付け足した。

1曲目はLouis Armstrongで有名なWhat a wonderful world。この詩が大好きで、「日々の何気ない景色や人々の思い、そしてこれからの新しい人生が待っている子供や孫たちについて期待し、これらは私にとって素晴らしい世界なんだ」と淡々と歌っている。Louisは最初に「木々の緑やバラの赤色」と歌っているが、Michael Bubleは次の詩である「空は青く、雲は白い」と最初に歌っている。

2曲目はMichael FranksのAntonio's song. 自然を愛していたボサノバのAntonio Carlos Jobinを謳った曲であり、これもその詩に惹かれる。ただ歌い方はあまり抑揚もなくボソボソと歌うので、聞いている人たちはつまらないだろうと思い、サビの部分だけでも女性ボーカルとユニゾンで歌ってもらうことにした。

実際に歌ってみて、観客へアイコンタクトはできたが、途中で不安になり歌詞カードを見たとき、1行ずれて歌ってしまった。やはり暗譜は必要だな。じいさんのボケ防止にもなるので、この際歌詞を覚えてみようかな?

 

来年は楽しくなりそう

 

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以前は年末になると、その年の決算として何をやってきたかブログ掲載をしていた。しかしこの数年はそのようなことに何も触れていない。海外渡航もせず、ロータリークラブを退会し、青年会議所のOB会への出席もせず、ボランテイィア活動としてのNPOも解散しようかと思案している。

健康に自信がなくなったわけではなく、原則として週に2日ジム通いをしており、風邪もひかずいたって元気である。仕事面でも、知人のおかげで新規音響メーカーと取引もできるようになった。これは7年前友人の天笠君からの要請で真空管ギターアンプ用のトランスを依頼され、ビンテージモデルの再生や、音作りを主眼とした弊社独自のアイデアによる電源、出力トランスをネット上でビジネスを展開している。そして現在オーデイオアンプのメーカーからもお声がかかるようになってきた。

かといって、ボランティア活動をやめ仕事だけに打ち込んでいるわけではない。日本中からネットによる真空管ギターアンプのトランス要請はほとんど1台からであり、戦後、親父達の時代、日本のギターアンプの黎明期からトランスを供給していた歴史と、「トランスも楽器の一部」として音作りのお手伝いをしたいというボランティア精神があるから継続しているわけである。ロータリー流に言えば職業奉仕である。

日本中のギターアンプのユーザーの皆さんと会話したり、ライブバンドのお世話をしていると、歳を忘れ自分でもバンドがやりたくなってきた。そこで、来年は30年のギャップを越え、新たにバンドを結成しようと試みている。幸い友人でプロのギターリストの村山君(写真参照)やセミプロのピアニスト、ボーカリストも応援をしていただけるような環境になってきた。問題は自分のベーステクニックである。同年代の福岡の岡本さんはアンプを作りながらバンドを掛け持ちしている。そのほか、アンプビルダーの多くもギターやベースのプレーヤーであり、彼らは私にとって当面の目標でもある。

また、お手伝いをしている外国人実習生の運営や、来年4月1日から施行する外国人労働者の受け入れに関し、人権問題や文化摩擦の解消に対処して行きたい。基本的な考え方として、このままでは日本の人口減少は経済面で深刻な状況を呈することになると想定される。文化摩擦では様々な意見もあろうが、今回の移民政策に近い外国人労働者の定着は納税者(Tax payer)として所得税社会保険料の納付、消費者として消費税を支払い経済活動に少しでも寄与できると期待する。

3日前、逝去された元ソニー日本オーディオ協会の諮問委員)の森芳久氏は世界中の多くの人たちに親しまれ、愛され命の尽きるまでご活躍をされたとのこと。合掌。

つくづく、人生は1回だということを思い知らされました。

 

markdadao.hatenablog.com

 

 

めぐりめぐる

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先日、墓のカロートのメンテナンスが終わったので確認に弟と訪問。そしてカロート内にある骨壷を見る。江戸末期の先祖から含め8つの骨壷があったが、名前が判明できないものもある。それでも没後50年の父親の小さな骨壺に合掌、供養し帰路に就く。そして二人だけでは、数十年ぶりとなる昼食を摂る。

弟は私と一緒に父が残した群馬の工場でしばらく働くが、1年発起し立大へ入学。父が努力してもうまくゆかない工場運営を、まだ10代であった兄弟二人がやっても共倒れになると母の思惑があったそうだ。その後、早期退社し母の面倒や墓の管理をしている。

西東京にある母宅や、娘夫婦がいる江東に泊まるには、煩わしさを与えると思い、しかし、孫には会うつもりで近隣の日本橋のホテルを予約しておいた。

偶然にも本日見た骨壷の先祖の一人は、江戸末期この地へ、長野から丁稚奉公へ。人一倍倹約に努め「ケチ勘」と呼ばれながら、日本橋二丁目2番地に雑貨屋を開いた母方の先祖である滝澤勘右衛門である。この先祖が、この辺りをテクテク歩いてたかも知れないと思うとワクワクする。

そして、娘は長野出身の旦那さんとめぐりあい、長野で挙式・披露宴をした。

戦時中父は、陸軍研究所の軍人として京大で研究のため出向していた。そして娘夫婦が一時期、京都で過ごしていた時、私も何回か京都を訪れ市内を散策した。古い建物を見つけては「親父も当時この建物を見ていたのかな」と。

同じく戦時中、母は親戚の者の疎開先であった下仁田へ東京から高崎線、上信線を乗り継ぎ毎月通ったそうだ。それが父と結婚し、仕事の関係で富岡の地で住むことになったのも不思議な縁である。

 

 

 

 

スマホエリートのための、iPhone のガラスを守るプロテクター

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最近のiPhoneはコーナーがラウンドしており、落下時に外観が傷つきやすい。最悪は液晶画面が割れてしまう。

だからケースに入れて使用する人も多いが、耳に当て、フタをバタバタさせて使うのには「美的にどうかな?」と思う人には適したプロテクターが発売される。

鉄球の落下テストやマグカップで叩いても割れないという、衝撃映像を最初に出したBuffが、iPhone の外観全てを守るプロテクターを12月7日に日本で一斉発売する事となった。

今回は従来のクリアーのほかに、落ち着いた赤と黒のバリエーションが追加された。

スマホは毎年新規のものを購入するのではなく、ハイエンドな機種を大事に長く使い、むしろそのハイエンドの機能を、深く充分に使いこなす人たちの生き方が「スマホエリート」、という風に時代の潮目が変わったと思われる。

いつの時代も、良いツールは使い手の磨きが加わり、そのオーナーは味のあるスマートな人生を送っている。

大事なツールを使いやすく、そして確実に守る事をBuff はテーマにしている。

 

prtimes.jp

山下達郎のライブからプロを思い知らされる

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1 0月21日に大宮ソニックシティ山下達郎のコンサートへ行く。この10年間で3回目、今回もプロの完成度を十分味あわせてもらった。

音楽もさることながら、山下達郎のタフさに感心。3時間のステージで、たった1度、着替えに舞台から離れただけ。イントロのソロのバッキング、歌いながら舞台の最左右まで移動しながらのファンサービス、バンドが下がって、カラオケをソロで、曲の合間のMCは一度も息が切れない。恐るべし。65歳を感じさせないステージ。

プロのミュージシャンがお金を取って、見せる、聞かせるとはこういう事なのか。翻って、自分たちの仕事を省みる。

照明が落ちているステージ上で、中央にあるアンプと左奥にあるアンプから白いLED でShino’sのロゴが際立つ。中央はもちろん山下達郎のアンプで、左奥は佐橋佳幸のそれで、これらはShino’sオーナー篠原さん手作りのアンプであり、それぞれから高評価を受けている。

5年前荻窪にあった篠原さんの工房へ出向き、今は各種トランスを納入させて頂いている。どのプレーヤーが使われているか知る由も無いが、元ギターリストで山下達郎や様々なプレーヤーのギターテクをやっている篠原さんの耳は厳しく、トランスの設計、製造に集中しなければならない。過去に早く納入し喜んでるもらおうとした際、表記を間違え迷惑をかけたことがある。私は今年で50年トランス屋を続けているが、プロになり切れないもどかしさがある。

先代がグループサウンドが流行る前からテスコ等にギターアンプ用トランスを納めていた経緯もあり、バンドをやりながら研究熱心なアンプビルダーである友人のA君から真空管アンプのトランスを依頼された。ほとんどがB to Bの取引であったが、私も昔バンドをやっていた懐かしさより作る事とした。

当初はボランティアのつもりであったが、プロのミュージシャンにも使われるようになり、また個人の方が予算を捻出し楽しみに作られているため、トランス屋のプロとして喜んでいただける製品を作らねばと心している。

 

歴代理事長会議(富岡青年会議所)

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久しぶりに富岡青年会議所の歴代理事長会議に出席する。なんと今晩の2番目の高齢会員であり、今更「青年会議所」とは気恥ずさもある。

しかしその気持ちを抑えても提案したい事があった。それは現役会員の拡充案である。

昨今、在籍者が激減し、卒業した母校が廃校になるケースが日本中で起きている。私にとって「青年会議所」は大人になるための学び舎であり、母校であった。

急な父の他界で大学を中退し、所縁のないこの富岡市に遺した父の会社を継ぎ、無我夢中で20代を過ごし、大人としての常識と友人を求め33歳で「富岡青年会議所」へ入会し、在籍した7年間多くを学んだ。

地方の高齢化が進み、また企業も後継者難となり若手経営者が減少しているのは事実である。富岡市は約5万人の人口で、周辺地域を加算しても10万人はいない。20、30代の男女青年は0.5万人として、例えば100人を入会推挙する事は2%の努力結果である。

私の提案は「OB会員は200人以上いるが、その半数の100人が5年かけて1人を紹介勧誘して欲しい」と。単一年度で多くの会員が増加するより、例えば中期計画として5年間で合計100人が暫時入会した方が、受け皿である現役会員の運営能力に無理がなく、また新規会員の基礎教育にも充分時間がかけられる方が中途退会者を減らせる。

そして、この「5年間で1名」の紹介ルールが富岡JCOBの文化になれば、会員維持への心配が減る。OBからの資金支援は現役会員にとって、当座の運営には助かるだろうが、恒久的な仕組みが必要であろう。

異論もあるだろうが、現在の現役会員の減少はOBにも責任がある、という私見を持っている。会員拡充の仕組みが、毎年の事業運営にあったのか? 現役会員の自己実現の場が提供されていたのか?

次年度理事長の挨拶にあった「会員が納得して楽しめる事業活動」は賛成である。外野から見ていると、人数が減少して一人当たりの負荷が増え、過去のしきたりや事業を整理できず、負の悪循環により「やらされている」感があるように見える。現役会員が楽しめるクリエーティブな活動を、私達OBが微笑みながら見守る「青年会議所活動」であって欲しい。そして恒久的に継続する「富岡青年会議所」を願う。

 

 

「いのちの器」を読んで

 

〈新装版〉いのちの器 (PHP文庫)

〈新装版〉いのちの器 (PHP文庫)

 

 

友人で保険屋さんのS君から保険転換のアドバイスをうけた。理由は、加齢とともに死亡リスクが高まり、掛け金が大幅に増加するからだ。改めて「その日」が近づいてきたことを知らされる。

自分ではまだまだと思っていたが、日本人の男性の平均余命から試算すると私は16年ほどである。ましてや健康年齢(日常生活が制限されることなく生活できる)はその半分の8年ほどとなる。

自分だけは特別だと思いたくなるのだが、世の中の平均は事実である。そもそも病院に担ぎ込まれた際「きっとすぐに回復する」と思いながら、しかし「まさか、まさか」と入院する羽目になる。ましてやベッドに横たわりながら、おもむろにドクターが私の脈をとり始めたら覚悟をしなければならない。

日野原重明先生の「いのちの器」に、ドクターの立場からの小編がある。そしてタイトルの「器」について、「土の器のからだは朽ちても、その中に盛られた健やかな魂は誰かの心に生き続けられる」と言っている。

 

多分駄目だと思う重病を持つ人々ほど春を待つ心が強い。・・・その病人には再び春が訪れることはないかもしれない。病む人の心に春を宿してあげたい気持ちである。

 

徳富蘆花は50歳の誕生日を迎えての随筆「新春」に、

「山の上にも山あり、山の奥にも山がある。人の生の旅はただ登りです」と書いている。人生とは卒業のない旅であり、日は遠からず暮れる。

 

今後、墓のイメージはますます多様化するであろう。・・・家の中で、いつも個人が偲ばれて、悲しみも喜びも、故人と分かち合えるような、故人の好きだったもの、愛用したものが家の中に置かれると良いと思う。

 

1919年に70歳で亡くなったオスラー博士は学者だけでなく臨床医のあるべき生き方を身をもって示した。当時の医学生たちに次のように述べている。

「諸君が生を受けたのは自己のためではなく、他人の幸福のためであることを良く心に覚えるべきである」と。

 

40歳以上の人は、当人はもちろん家族のものも平素から心得てほしい。一番多い危険な緊急事態というのは、心筋梗塞、また動脈瘤破裂、次いで脳卒中、肺炎など。また年配者ではちょっと転んでも骨折を起こすことがある。

 

定年後の第三の人生は、自分の意思と計画と趣味とで自分が選択する生き方を地でいける最後の人生である。

哲学者谷川徹三氏はこう言っている。「生は問い、死は答え」だと。第三の人生をどう生きるかのデザインが、どう死ぬかの答えでもあろう。

 

からだが痛み、心が悩み悲しみ、起き上がる気力を失った時、誰かが、もしそれを周辺の親しいものから得られなければ、社会が、その身も心も傷んでいる人間を支える配慮をし、国家がその社会を支える政策を立てなければならない。

一方、支えを受ける側として考えねばならぬことも多い。病気に耐え、気丈に生きるには、何を心の支えにすべきかを。

 

戦争中耐えることを学んだ人は、地球の各所で苦しみに耐えている人の心がわかると思う。物が多いと、貧しい人の気持ちをいたわる感性が養われない。・・・富める文明は、人間にとっては不幸とも言えよう。

 

人から直接間接に受けた愛の労苦を無駄にしないということも、私たちが健やかに生きる道だと思う。

 

良寛が亡くなる前に、良寛に心を寄せた貞心尼が読んだという句がある。

「うらをみせておもてをみせて散るもみじ」

めいめいに与えられた環境、まためいめいが築き上げた環境の中で、人は散っていく。その時の姿は、人間の最後に生きる姿であり、また死ぬ姿でもある。老人はもっと自らの色素で染め、風が吹けばお迎えの風に乗って、大地に還るという自然の心を持ちたいと思う。

 

フィリップ・タマルティ教授は「希望は人間が生きていく上で欠くべからざるものの一つであり、これがないと人生は暗く、冷たく、欲求不満を起こさせることになる・・・、わずかでも、とにかく希望があれば、人は困難に耐えられ、なおも夢をみたり、空想もし、計画を立て、手をさしのべて生を取り込むことができる」

 

「告知後の毎日をどうその患者と対決していくつもりか、それだけの人間的力量をはたして医師に期待してよいものか」

告知した後の主治医には、からだと心に十字架のように重い負担を背負う覚悟と、それを実践させる現実の行動力の用意があるか。

 

人とのコミュニケーションで最も必要なのは、視覚より聴覚である。見えなくても人の声が、言葉が聞こえれば、人は反応する。

老人には、外界との接触、コミュニケーションが保たれる場を、周囲の者で作ってあげ、その中で老人が生き甲斐を感じるように配慮すべきである。

 

患者は、気管内に管が入っているため、臨終の際に一言も、発語できない。・・・人間の最期は、孤独で、はかなく、人生の中で一番の不幸な時が、最後に来るという感じを強くするのである。ひと言も、ものが言えずに死ぬことは、なんと淋しく、切ないことであろうか・

終末医療を有終の医療にすることはできないのか。古き時代に、老人はもちろん、多くの病人はそれほど苦しまないで静かに死んでいったのに。

 

 

「戦争調査会」(幻の政府文章を読み解く)を読んで

 

 

1956年、東京生まれ。現在学習院大学学長、法学博士の井上寿一氏の著による「戦争調査会」は8月の終戦記念日に読もうと思い購入しておいたが、読後感想が9月になってしまった。

これは、太平洋戦争直後の東久邇宮内閣の後継首班として、70歳を超えた幣原喜重郎首相による戦争を検証する国家プロジェクトである。

この「戦争調査会」の貴重な資料を読み解いたこの書籍は、「おわりに」の章にある「近隣諸国との歴史認識の決着への糸口になろう」に期待。また、戦争体験への継承として「戦争の時代の全体像を考え続ける・歴史的な想像力を鍛える・有益な参考書類にしなければならない」と著者は言う。最後に歴史研究の社会的な責任として、「戦争調査会に学ぶべきは、社会に役立つ歴史研究の重要性である」と。

私たちの世代では東条英機等による戦争への突入などと教わってきたが、一読して感じるのは、誰一人戦争を目的としてはいなかった、そしてあらゆるタイミングで戦争を回避、または早く戦争を終結する機会はあったということ。

しかし、軍隊の中堅クラスの言動、国民による大衆主義(ポピュリズム)の流れ、マスコミのプロパガンダによる世論誘導などが複合的に戦争への扉を開かせたのではないかと思う。

最近の、A新聞などのマスコミ誘導や近隣諸国との紛争への誘発記事、イギリスのポピュリズムによるEU離脱アメリカのトランプ大統領の誕生など考えさせられる。そして、財務省による自衛隊への予算の締め付けと、頻繁に発生している自然災害への動員により自衛隊隊員たちの不満が爆発すれば気をつけなければならない。我々を守ってくれる彼らを尊敬し、むしろ基地のある地元のロータリークラブライオンズクラブに会員として迎え入れるべきだろう。昔、相馬原駐屯地のトップの方の講話を聞いた際、なかなかの人物であると関心した思い出がある。

一方、中国や北朝鮮の挑発により、必然的に日本の自衛隊の軍備増強が叫ばれている現在の状況では、条件が整備され始めている。我々は外交交渉のための軍備増強であって、本当に戦うための増強ではあってはならないと、いくらマスコミが国力を臭わせても心すべきである。

最後に幣原首相は「我 敗戦の原因何処に在るかは 今後新日本の建設に欠くべからざる資料を供するものなり」と終戦善後策の第4条に記載している。多くの人がこの「戦争調査会」の資料に関心をもち、様々な意見の交流を望みます。