markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

馴染みの風呂屋で

馴染みの風呂屋へ行くと、常連の客が肩を寄せ合いサウナで談義に花が咲く。

すこぶる元気な人が声を張り上げ話題の中心にいる。それに呼応して相づちは打つ数人。その丁々発止の会話を楽しむ大勢。

自然発生的な集団でも、それぞれ役割ができて調和を保っている。そしてまさに、男の裸の付き合いである。

話は過去に遡るのだが、江戸時代は老若男女の混浴であった。風呂屋の格子から表通りが丸見えで、外から覗こうと思えばいくらでも見えたとの事実がある。

外国から来た、特に敬虔な宣教師達はこの習慣に嫌悪感さえ覚えたようだ。しかし、その日本特有の風習を破廉恥だと思わせたのも、近代化を進めた明治維新後の外国からの価値観であった。

一年中南国の地であれば下帯だけで生活もするだろうが、日本には四季があり自然界がそれを許さない。要は暑い時は下帯になり、寒ければどてらを羽織る。身体を拭ったり洗ったりする時は着物を脱ぐのは当然である、という観念が当時にはあったと思う。

以前私が終い湯から上がり脱衣所で火照りをさませていた時、客が帰ったと思い片付けに風呂屋の女将が思い切って扉を開けた。前も隠さず「すぐに出ます」と言った私は、江戸時代のDNAが多少残っていたのかもしれない。