markdadaoの日記

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2013年国際協議会講演集より「会長による閉会の辞」


「会長による閉会の辞」田中作次

多くの発展途上国を訪れ、初めて、極貧というもの、そして、極貧に生きるということが何を意味するのかを、目の当たりにいたしました。毎日お腹を空かせている子どもたちや、飲み水のない人々、住む家のない人々、病気になっても薬のない人々をこの目で見ました。
もちろん、そのような人々がいることは知っておりましたが、聞くのと、実際に見るのとでは、大きな違いがあります。貧民街で、親のない子たちが食べ物を求めてゴミをあさっているのを目にすれば、すべてが変わります。 
そこにあるニーズは、抽象的な概念ではなく、差し迫った現実です。苦しんでいる人々を助けるために、できることは何でもしたいという気持ちになります。この現実から目をそむけるのは、非人間的とさえ感じます。ロータリーでは、このような現実から目をそむけることはありません。地域社会の人々に加え、決して出会うことがない人々にも、支援の手を差し伸べるのがロータリアンです。

誰かに手を差し伸べるのは、助けが必要とされているから、そして、助けることによって自分も喜びが得られるからです。
そして、私たちは皆、同じ人間だという認識があるからです。人は互いに支え合って生きています。誰であろうと、どこに住んでいようと、助けを必要とする人がいれば、何かをしてあげたいと思うものです。

およそ70年ぶりに、日本は助ける側から、助けられる側となりました。誰もこのようなことになるとは想像していませんでしたが、これは、私たちの生活がいかにもろいものであるか、自分がいつ、助けられる身になるか分からないということを、思い知らせる出来事となりました。
日本語で「東日本大震災」と呼ばれるこの地震は、日本を変えました。国民すべてが変わりました。そして、日本のロータリアンがロータリーを見る目も変わりました。支援を受ける側に立ったことで、人道的奉仕というものを違う目で見るようになりました。

自分にとってやりやすいことではなく、本当に必要なことは何かを、真剣に考える必要があります。
私たちの活動がどんなに重要かを理解する賢明さと視点を持たなければなりません。
援助を最も必要とする人々を支援できるよう、ロータリー財団を支えるためのビジョンを持たなければなりません。
ロータリーを通じて奉仕すれば、ロータリーの素晴らしさを同時に分かち合うことができます。国や文化が異なっても、人と人との結びつきを築くのがロータリーです。そうすることで、より平和な世界を築くことができます。