10年ぶりの訪韓のきっかけとなったのは、サムソンをドロップアウトした営業マンだった。彼が、昨年暮れに私に持ち込んだ案件が元であった。その彼が、「韓国人の多くはサムソンが嫌いだ」という。理由を聞くと「外注への支払価格が厳しく、儲けは全て親会社のサムソンに持っていかれる」とのこと。「アメリカの99%と同じか?」と聞くとうなずいた。
その彼の人脈で、元ラッキーゴールド(LG)の化学者で、10年前に独立してラボの会社を立ち上げたK氏を紹介された。彼とK氏でDMZ(demilitarized zone)方面にあるアウトソーシングしている工場を視察。K氏の実家はそのDMZから1時間以内のところにある。それならば「金正恩に会えるじゃないか?」と冗談を言ったら、一言「会いたくない」と。まずいジョークであったと反省。工場を一通り見て回わった。どうしても現場を見たい性分で、3時間近く掛けて北朝鮮との国境近くまで来てしまった。
その後、デザイナーと打ち合わせのため、ソウル市内の明洞に戻る。着いたのはSKテレコムビルの地下駐車場。そこからエスカレーターで上がる。たくさんの個室があるフロアーのやや広めの会議室に、デザイナーコンサルティングを経営しているL氏が待っていた。4人と打ち合わせをしている最中、妙に明るいJ氏が部屋に入ってくる。J氏はSKテレコムの部課長クラスの人間だった。夜の9時頃までぶっ続けでミーティングをする。J氏が腹が減ったとのことで、ミーティングを止めて明洞の街へ。何が食べたいのかと言われ、「プルコギ」と答える。日本人に有名だと言われるある店に入る。J氏の顔で小部屋を用意してもらい、結局焼き肉となった。決して安くはない骨付き肉を焼き、それなりに美味しかった。
食事中はほとんど仕事の話は出なかった。福島原発の質問をされたので、元IAEAの町先生の話の内容を説明した。彼らは30〜40代で全員英語を話す。K氏に至っては、相槌をしたとき「トイ」という。それは中国語の「対」(yes)という意味で、「中国語が話せるのか?」と聞いたら、「自分の中国語が20%ならば、上海語は60%話せる」という。
食後、J氏はデザイン図の「イラストはどうか?」と聞いてきた。とっさなので「馬馬虎虎(マーマーフーフ(ぼちぼちという意味)」と答えた。K氏はにやにや笑っていた。そうしたら「あのイラストは自分が描いた」とのこと。冷や汗ものであった。2年前に新婚旅行でセブへ行ったとのことだから、まだ30代前半だと思うのだが、会社では先端事業の、あるセクションを任され、プロ並みのイラストを描き、英語を流暢に話す。
韓国人は教育方針のせいか英語が話せる人が多い。地下鉄で高校生ぐらいの男の子に方角を聞いた時、ちゃんと英語で答えた。そして若き経営者達は人生を楽しむ者、将来を見据えて新しいことをやろうとしている者、アメリカでもどこへでもすぐに飛んでゆこうとする者など、概して屈託がない。徴兵制があり、また韓国大手企業は実質的に35歳定年制を取っていると聞く。35歳でその企業の経営幹部に残れないものは、ドロップアウトする。そして自分の人生を自分の手で切り拓こうとする。私の目からは危なっかしいところも感じるが、あのバイタリティは何なんだろう。