markdadaoの日記

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私心を捨て公を


昨晩の新年会では国政から市政までの議員が出席された。国政は山本一太議員のみ、本人の参加。他は秘書の方が代理出席。本人が来られると、スピーチを依頼することになる。先日の富岡市6団体の合同新年会と同じように、「数ある新年会の中でここへ出席をした」と、開口一番拍手を得る。「民主党が呼び掛けている消費税の与野党協議は密室協議である。民主党が過半数の消費税反対者を取りまとめ、国会に提出すれば自民党は堂々と議論する」ということ。そして「今年は間違いなく選挙の年となる。政治をリセットしよう」と呼びかけて、「これ以上話をしていると1時間以上止まらなくなるので、ここらで話を終える」といって降壇した。
まったく話し方が上手い。文章でいえばゴシック体(bold type)のように、この3つのキーワードの最初の単語だけマイクに口を近づけ強調発声する。そして「37歳の時議員に初当選し、その時JCに入りたかった」とJCの新年会に対しリップサービスをする。
そのあとを受け、地元選出の県会議員が挨拶をする。席に戻り「山本一太の後はやりづらい」とぼそっと。同感するが、政治家として「どこを向いて政治をしているのか?」と、疑う発言がある。これは選挙民である我々のエゴ意識にも責任があるのだが、国政は日本の為に、県議は群馬県を見て欲しい。国や県から何を地元に持ってくるのではないと思う。
城山三郎著の「嬉しうて、そして・・・」にこのような一節がある。

イギリスの哲学者J・Sミルは推されて国会議員選挙に出るとき、「国会議員は国のことだけを考えるべきであり、自分は選挙区のためには何もするつもりはない。それでもよければ出る。」と言っている。

投票を執行をする際の我々も、立候補する候補者同様に私心を捨て、ひたすら公(おおやけ)だけを注視しなければならないと。