markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

肩書き

社会では容易に肩書きで人を判断してしまうので、気をつけなければならない。
大概は立派な人が、その肩書きの職務についているので、そうでない人でも立派に思ってしまう。逆に肩書きの無い人は、その地位に就いていないのだから立派な人ではないと思ってしまう。
本物は肩書きに関心が無く、野に下っている。劉備諸葛亮を迎える際に三度たずねた三顧の礼ではないが、本物を中央に引き出すにはエネルギーがかかる。が、それなりの価値もある。力のない人はそれを補てんするために肩書きを欲しがる傾向がある。
安田財閥の祖である安田善次郎が「ステータスそのものに値打ちがあるのではなく、要はその内容、そのポストで何をしたか、人間自身の問題なのである」と言っている。
更に掘り下げるとHow to do good(如何に善を為すか)よりも、How to be good(如何に善であるか)であり、ロータリークラブのmission(使命)等にも関わるのだが、己の徳を高める心(Ideal of Service)から生まれた奉仕活動だと思う。
最後に安岡正篤の「人間学のすすめ」から引用

偉くなることは必ずしも富士山のように仰がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なものは大地である。この大地は万山を載せて一向重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せて敢えてとはいわない。常に平々坦々としておる。
この大地こそ本当の徳である。我々もこの大地のような徳を持たなければならぬ、大地のような人間にならなければならぬ。