markdadaoの日記

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屈伸哲学

20数年前中国へ初めて訪問した頃、中国の人に「私はあなたと同じぐらい仕事をしているのに、給料は低い」と言われた。上海以外の町でスカート姿を見たことが無く、すべてが国民服。市場に売られている野菜や果物は誠に栄養が足りないものばかりで、食事は質素であった。車はロシアのお下がりのポンコツ車が多く、床が抜けているのもあった。
今の中国の発展を、当時を知る人なら誰しも想像出来なかったろう。中国の都会はまるで香港のように生まれ変わってきた。そして、日本のある得意先は中国企業の資金援助を受け、いずれ吸収される。「屈伸哲学」は訒小平の3度の失脚と復活から生まれてきた、そして中国は当時が「屈」の時期であり、今が「伸」の時期になったと考えられる。

訒小平伝  寒山碧著
屈伸哲学とは、体を屈伸させて前進する尺取り虫のように、屈するのは伸びるための準備である、という哲学である。
これを人生に重ね、失脚はもとより、不遇にある時は「屈」であり、これは新たなる前進、すなわち「伸」への準備期間と心得、無為に過ごすことなく復活の時に備えよ、という老荘の教えである。
「屈」には屈辱が伴うが、それも「伸」へのエネルギーとなるものである。

最近までの日本が「屈」ならば、これから「伸」の時代へ向けて弱音を吐かず、エネルギーを蓄えるという心構えが必要であろう。