markdadaoの日記

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浦戸貨物フェリー「なのはなまる」就航


4月29日桜の花も満開を過ぎた東北の波止場で、待ちに待った浦戸貨物フェリーの就航式典がマリンゲート塩釜で開催された。私達富岡中央ロータリーの有志6名は6:53高崎駅発の新幹線に乗り込み、大宮駅で「はやて101号」に乗り換え仙台経由で仙石線に乗車。途中、ボランティアで昨年2回訪れた多賀城市を高架線から見下ろすが、車窓から何事もなかったように風景が通り過ぎる。9:42に本塩釜へ到着、徒歩で10分程度で就航式典会場に辿りつく。
受付でクラブ名を名乗ると、すぐにガバナー補佐の和田さんが私を見つけ声をかける。前日までお電話で何十回と連絡し合った方でしたが、想像していた以上に重厚そうな信頼を感じさせる方でした。席に案内され、近くに多賀城RCの加藤会長のお顔見え声をかけ、メンバーを紹介し旧交をあたためました。直に花火の打ち上げを合図に、神事として2名の神主による就航安全祈願祭が始まりました。

次にRI2520地区の和田忠ガバナー補佐から支援事業の経過報告を受けました。この事業を実現させたリーダーの塩釜RCの田中会長が、今日の晴れの式典を待たずにちょうど2週間前の15日に急逝されたことが報告されました。遺族の奥様と2人のお子様も出席されておりましたが、息子さんが胸に抱いた遺影を直視できませんでした。40周年事業とこのフェリー就航実現そして、震災からご自身の会社復興へのエネルギーを62歳の早すぎる命に託されたとのこと。
船名を公募し、塩竃市立浦戸中学の菅原莉那さんが、流されてしまった島に咲く「なのはな」をもう一度見たいと言う願いで「なのはなまる」と命名されたそうです。桂島へ株式会社渡辺採集場の管理の元(交雑を避ける)、仙台白菜の種を採るために菜の花の栽培が盛んだったとのこと。
その後祝辞と鏡開きが行われ、船上からまき餅が執り行われました。そしてフェリーの内覧会が行われ昼前には会場をマリンゲートの3階に移し祝賀会が開催されました。
そこで思わぬ出会いがありました。