サブタイトル「近代日本の創造的対応」、著者は一橋大の「イノベーション研究センター」特任教授などの米倉誠一郎教授。東洋経済新報社が2017年5月に出版している。
このブログを読む前に以下の過去記事を読み直していただければ、著者のひととなりを知る事が出来ると思う。
明治維新前の砲術家「高島秋帆」から明治維新直後の志士たちの官僚としての働き、明治政府の対応、三井・三菱の財閥の対応、科学者「高峰譲吉」らの第2次世界大戦までの働きが描かれている。目次の他に終章(エピローグ)で全体の流れが一望できる。
自分にとって感じた内容(著書の意見)を以下に抜粋する。
大隈重信等が攘夷を唱えていただけの「志士」から日本を代表する「外務官僚」へ変貌していく、様々の難局を切り抜けている。そして「国内の財政状況を放置したままで国の信用を立てる事など、昔も今も不可能である」と結んでいる。
維新官僚たちは「旧武士階級」という身分を金禄公債で買い入れ、さらにその公債を産業資本に転化するという壮大な構想を描いた。
2世紀半に及ぶ鎖国を解いた日本が直面した課題は、欧米の新しい技術や商習慣を導入して経済力をつけるかであり(富国)、列強に対峙しうる強大な軍事力を構築することであった。これを補完したのが三井・三菱の財閥であった。
日本の21世紀は想定されていたものよりはずっと暗雲立ち込める出発となっている。急速に進展したグローバリゼーションとその反動的とも言える孤立主義の台頭。こうした動きは実に幕末の植民地化の危機や攘夷運動を彷彿させる。さらに悪化し続ける財政赤字や自主外交確立の必要性も明治初期の状況に重なり映る。
著者は「歴史に客観的な史実などない」と歴史家にあるまじき考え方をもっている。歴史とは結局、主観的な記述である。人間の認知限界からして過去の全ての事象を再現することはできないからである。無限の事象の中から、幾つかの断片を拾い上げる作業こそが、まさに歴史家の歴史観を提示する作業であり、その観点の斬新さや手堅さを競うのが歴史を記述するという仕事だからである。