markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

I, Pencil 鉛筆である私

マークさんからI, Pencil(鉛筆である私)の新しいビデオプロジェクトのメールがありました。
本題は My Family Tree as told to Leonard E. Read (レオナード・E・リードに語った私の家系図)。1958年にThe Freeman(雑誌)へリードが随筆として著したもので、われは鉛筆 - himazu archive 2.0で丁寧に和訳されていますので参照してください。下記動画も参照してください。
内容は擬人法で「鉛筆である私」として、「鉛筆の製造に関わる多くの人たちが、全体を統括されず「神の見えざる手」によって作られている」と説明している。そして強制的な統括なしに行われているのは、自由な人々への信頼であり、自由はこの信頼なしには存在し得ない、と言う。これは、非常に多くの小さな知識・技能が自然発生的に奇跡のように集まり協力して必要を満たしている事、と結んでいる。
事例として、たとえば政府が郵便配達の活動を独占すると、ペルシャ湾からアメリカ東部沿岸へ石油を運ぶのにかかる費用の1.8Kg当たりの額は、国営郵便事業が28gの郵便物を近所に送る額より小さい。だから教訓として、創造的なエネルギーの邪魔をしてはならない。この教訓に沿って働くように社会を組織すればそれで良い。
結論として「創造的な知識・技能が自由に行き来する事を許そう。自由な人々は神の見えざる手に従うことを信頼するのだ。」
以上は、経済や社会に対する国家や政府の介入を最小限にすることを主張する、リバタリアンの考え方である。