markdadaoの日記

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第2回多賀城市ボランティア訪問 その2


「とにかく搭載している現物を見てくれ」と頼み、トラックまで来てもらう。
群馬ナンバーとボディーに貼った災害支援のプレートを見たとたん、「知らなかった、申し訳ない」と平謝り。そして分別処理をしているのでと、廃棄場所まで案内をしていただいた。まさにフィリピンのゴミの山を彷彿させる。
帰り際に「午後と明日ピストン搬送するので」と伝えたら、市の生活環境課へ車検証を持参し、災害廃棄物搬入許可証をもらった方が良いとアドバイスを受ける。

現場から帰り道、市役所2階の生活環境環に寄る。金野議員にも来ていただき、窓口から申請書をいただく。被災者の住所を書く欄があり、「ボランティアで来ているので被災者ではない」と言うと、その窓口は困って動きが止まる。「とりあえず、車検証をコピーされたらどうですか?」とアドバイスする。住所は金野議員宅とした。また廃棄区分と重量については、2トン車で今日明日で5往復するので10トンと書こうとしたら、明日は日曜日で廃棄場は休みとのこと。同じ課の現場職員は日曜日搬入について何も言わないのに、市役所の中の人は駄目という。前回は土日曜日なら被災者が会社を休めるため、廃棄物の確認指示が出来るとのことで廃棄させてくれたのに。議員に聞いたが、知らない間に行政側で休みを決めたようだ。何のために群馬からトラックで来たのか! 行政は後手後手でルールを、住民不在で追加変更してゆく。

これには訳があり、行政間同士でルールを作り、住民を翻弄させていることを後で知ったのだが。
発端は仙台市が廃棄ルールを変え、詳細はわからないが被災証明などを住民に用意させ、廃棄場へ来る住民一人一人を細かくチェックを行うため、待つために長蛇の列となる。そこで20分ほどで行くことが出来る、隣町の多賀城市の廃棄場へ「被災ゴミ」のほか「この際ゴミ」も一緒に多数持って来る事になった。そこで多賀城市も自衛のためルールを作り、住民に不便をかけさせている。更に、市と県の役所同士それぞれの都合により、市の一時処理場は県からの遊休地を貸しているため、せっかく集めたゴミを県の鶴の一声でお金をかけ移動させている。また労働基準監督署もゴミの高さ制限としてルール作りに参加して来た。瓦礫が崩れて二次災害を発生させてはいけないとの理由で、ゴミ山は芸術的に台形に均すため、土地が足りなくなってきた。多賀城市仙台市の国営、県営遊休地の借用を願い出たが、トラックが入る道を建設しなければならないので、すぐには対応できていない。

3月の震災から2ヶ月頃までは、行政と市民が復興に努力をしていたのだが、3ヶ月も経つと行政マンとして何か仕事がしたくなり、住民不在のルール作りに議員先生の手の及ばぬ所で精を出し始めた。(ちょっと皮肉を)
これは聞いた話だが、「地震津波で決壊した河川の堤防を緊急に修復せよ」と、市からの要請で砂利の入った土嚢を積み上げた。次に河川は県の担当だとのことで、「これからは雨期に入るので、透水性のある砂利は使ってはならない」として、せっかく積み上げた土嚢を全て取り除く作業をさせる。(仕事をしない人は、仕事を作る名人?)
(続く)