markdadaoの日記

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永明寺(ようめいじ)

従兄の7回忌、伯母の17回忌、伯父の27回忌の法要が沼津にある臨済宗妙信寺派の永明寺で行われた。
読経が始まる前、奥にあるやや大きめの本尊(お釈迦)を見ていたら、住職が「ここにある古いものはその本尊ぐらいで、後は新しいものです」とのことでした。確かに昭和20年の空襲の際、当時の住職がこの本尊を背負い池に沈め、難を逃れただけのことがあって黒々としていた。
現在の住職はお若く気兼ねなく話が出来たので、以下のお話をさせてもらった。
「お坊さんの権威が高まったのは何故ですか?」
「庫裡が立派になったので、そのように見えるようになったのでしょうか」
「何故、誰でも気軽にお寺に入ることが出来ないのですか?」
「多分、大口の寄進者の手前、差別をしなければならなくなったからでしょう」
「昔のお坊さんのように、地域の人たちの日常の相談相手になると良いですね」
「本来お寺は公共のものとして、私たちもお寺を使わせてもらうという考え方ですが。現在の日本の場合、誰でも良いと言っていろいろな人が入られて、信心をされていない人などに悪いことをされるのは困ります」
「確かに日本も仏教国と言っても、タイの一般市民が辻辻ににある仏様に手を合わせるほどの信仰はありませんね」


読経に入る前、供物の話をされた。「昔は大事なものを故人に供えていたのでお米や果物がありました。現在は物が豊富ですね。そしてお寺によっては法要の際、お子さんを遠慮されるところがありますが、私どもはお子さんは大事と考えております。多少うろうろするかと思いますが、気兼ねなく読経をさせてもらいます」と皆の気持ちを解いた。
始まる前はあちらこちら動きまわっていた1歳半の赤ちゃんが、読経の途中から母親に抱っこされ静かに聞いていた。ここは参列者全員で本を見ながら読経をするので、そのハーモニーで心が休まったのかもしれない。