在日パキスタンの友人から電話があり、来日しているタイの知人と共に、打ち合わせと夕食を三軒茶屋で摂る事となった。
続きを読む『「好き嫌い」と才能』より その3
いくら将来性があっても、競争の激しい分野はやりません。
事業はまず、自社の強みが生きるかどうかで、負ける喧嘩は最初からしない。
小回りが利く強みを活かして、ユーザーインで商品化していけば、間違いなく市場が大きくなっていくのです。
パワーゲームで値引きはしない。ただしお客様に対してのサービスはする。絶対に譲歩はしない代わりに、何をどうするのか提案はしていました。
売り上げは手段、目的は利益です。
「音楽プロヂューサー 丸山茂雄」より
テレビでマーケッティングをやるということは、最初はバーンと全員に見せる。それで興味がない人は二度と見ない。一番最後の「これイイね」と言っている人がレコード店まで来てくれるというのがテレビのやり方です。
彼女や女房が自分の思い通りになったためしがありますか(笑)。みんなそれぞれ人格やポリシー持っているから尊重しなきゃまずい。それにはちょっと合わないな、というとき、おれが下がるしかないよね。変える気はあるけど、変わらないというのは、この年になればわかっているからね。
「ヤマトホールディングス代表取締役会長 木川眞」より
修羅場は肥やしだと思います。「修羅場が好き」と僕が言うのは、好きだと思わないと逃げたくなるかもしれません。
日本は資源もないし、ウサギ小屋とかドブネズミとか言われながら、人材を変えることでここまでの社会を作り上げてきた。だから、僕のメッセージは、「私達だってできたのだから、できない国はないんじゃないか」。すると、ソマリランド人もバングラディッシュ人もがんばるわけ。
1950年代の日本の産業政策として、日本は最終製品よりも工作機械やネジやパーツをしようとしていたという話。自動車や家電のような最終製品は民間の成長に委ねていた。今の新興国は、つい自動車とか家電とか、そういう目に見えるものに目が行っちゃいますよね。だから、この日本の経験を海外の人にも読んでもらいたくて。
国の成長にとって大事なのは、実は目に見えないものだという主張。論文のタイトルが素晴らしくて、泣けるよ。What is Essential is Invisible to the Eye.(本当に大切なものは目に見えない)。まったく、教養というものがないな(笑)。これはサンテクジュベリの「星の王子さま」の一節だよ。
1991年にシリコンバレーに行ったら、Tシャツに短パンの社長が「これから巨額の投資をして、こんなビジネスをして」滔々と語る。「失敗したらどうするんだ」と質問をしたら、短パン社長は「失敗ならもう3回したよ。だから今度は大丈夫だよ!」と答えた。「もう全然違うゲームが始まっている、これは大変なことになる」と思ったけど、この差はしばらく埋まらないだろう。
幼稚園は中退しているし、小学校の時はじっと座れなかった。家庭訪問で担任に「絶対に中学に上がれないだろう」と言われた。だけど先生が帰った瞬間、母が「あんたの先生はバカだね」って。
e-Education。途上国は人口が爆発していくから、どう考えても先生の数が足りない。それならビデオでやればいいじゃないか、という発想はすごく面白い。高いお金を払わなければアクセスできない教育をいかに安く広めていくか、いかに人間が自由に競争するかという試み。
「こんな便利なものを作ってくれて、ありがとう。面白いものを作ってくれて、ありがとう」ということで、アップルもフェイスブックもグーグルも、金儲けしている。僕たちの生活を良くするものをつくって大金持ちになる。全然問題なし。面白いことをやって、新しい富を作り出す。まったく悪くないどころか、最高だね。
「この人は頼りになる」「この人だったらきっとうまくいく」と思わせるのは、一通りこなせるというレベルを超えて、本人がそれが好きでやっていることが周囲にも伝わるからだと思うんです。「好きこそ物の上手なれ」の好循環をブンブン回して仕事をする。自分の芸風を頼りにされて、その結果、世の中と折り合いがついて、「仕事」になる。これが仕事と仕事生活の理想だと僕は信じてます。
『「好き嫌い」と才能』より その2
「まえがき」から
すぐに役立つものほどすぐに役立たなくなるものだ。どうすれば普通の人々が高水準の努力を維持できるものか。
筆者の答えは「努力の娯楽化」。それが「努力」かどうかは当事者の主観的認識の問題。「本人がそれを努力だと思っていない」、これしかないというのが筆者の行き着いた結論。
為末大さんが言うには、「どこに到着をしたかというよりも、到達するまでのプロセスが楽しめる人は強い。『道中で報われる』、これがないとアスリートとして長くやっていくのは難しい」
「小説家 磯崎憲一郎」より
「要するに、何なのか」が常に求められている。正解がないなかに居続ける余裕みたいなものがなくなってる。
本当に僕らが人生を費やして考え続けなければならないものは、答えのない問いです。
バブル期以前のように紋切型が許された時代と違って、今は仕事でもプライベートでも何でも差別化が求められる。自分のコアな部分をさらけ出してやっていかなければならくなりつつある。
「ネスレ日本CEO 高岡浩三」より
「ブランドは広告でつくれない」を読んで、ブランドにニュースを創って、人から人に伝えてもらうということ。
マネージメント(経営)とは、遠く戦前にできた概念で、人を管理することを指す。今のマネージメントの概念は、基本的にはマーケッティングをしてどれだけ企業内で付加価値を生み出すか、あるいは企業外で創造をするかということ。
日本のように成長し、「特に欲しいものはない」という人が多い国で、みんながどれだけマスメデイァの広告を見て商品を買っているのか。
先に高齢化社会や小さな世帯になっている国でそういうものが流行れば、いずれ他の国でもそうなるのではないか、という仮説が出てくる。
自分たちの生み出したサービスによって、そのサービスが存在しなかった時よりも、確実に社会が良くなっていたら、相当気持ちがいいんじゃないかーーーそういう考えが、事業を決める上での根っ子にあったのです。
単に、善人が善行をするというのではなく、自分の欲求に基づいて、やりたいことと世の中の役に立つことを両立させるビジネスモデルを目指そうとしました。
「エービーシー・マート代表取締役 野口実」より
「好きだからやっているし長続きする」ということじゃないですか。強力な意志とか、自分を律するものがなくても、好きだからしている。
毎日コツコツ見て、積み上げて変化を感じていかないと、 「朝顔の観察日記」がちゃんとつけられる人じゃないと、小売業はなかなか難しいですよね。
「ウォンテッドリーCEO 仲暁子」より
自分の手の平に収まる程度の人材しか受けつけない「ダイバーシティおじさん」
ゴールドマン・サックスはすごいダイバーシティの会社だった。みんなが持っていた価値観というのは一緒で、みんな競争が大好き、お金が大好き、自分が死ぬ気で働くのが大好きという。その中に、黒人とかヒスパニックとか女性とかがたくさんいたというダイバーシティなのです。
みんなが共通の価値観をもったときに、ダイバーシティが大事になる。
『「好き嫌い」と才能』を読んで
風邪から体内に炎症を起こし、抗生物質で対処中。この1週間は熱でさいなまされたが、体力が快復するまでの数日、読書する機会を得た。
タイトルに惹かれ買った本だが、内容は私にとって正解であった。著者は一橋大の楠木建教授と19人の対談形式によるもので、面白い事に最後の一人はご自身が対談相手となっている。
サブタイトルとして『仕事の最強論理は「仕事の娯楽化」』として、好き嫌いをテーマに会話を進めている。「好きこそ物の上手なれ」であるから、好きな事だけやっていれば言い訳だが。成功者である対談者は、その好きな事をやるまでに多くの辛苦を乗り越えていることが伺える。好き嫌いは千差万別だから内容は違えど、その「好き」を貫いて企業に、社会に貢献している。そしてその「好き」と現実の折り合いも、うまくやりのけていることがわかる。
錚々たる経済人や著名人がいる中で、個人的には著者の大学教授の先輩である米倉誠一郎氏に共感を得ることが多い。バングラデシュで、米倉教授の教え子の税所篤快氏が大学生の時、e-Education 遠隔教育プロジェクトを立ち上げたそうだ。教育の機会のない貧困層の子らに映像授業を届ける取り組みとの事。
しかし、今回のテロ事件の主謀者の多くは高等教育を受けた者であり、そのリーダーは元大学教授、ISの教育の感化に命まで捧げている。教育は世界平和の根元になり得るのだが、諸刃の剣であるからこそ難しい。
この問題は別途書きたいので本題に戻り、次回より共感した部分を箇条書きする予定である。病み上がりのため、このぐらいでおやすみなさい。
フィリピンで「幸せなら手をたたこう」が生まれた背景
フィリピン在住の友人O君が最近NHKの仕事で田舎にいるとのこと。そして「幸せなら手をたたこう」のロケで張り付いているとのこと。その時は理由がわからなかった。私のこの曲の記憶は、坂本九が歌番組ザ・ヒットパレードやシャボン玉ホリデーで良く歌っていたことを思い出す。わかりやすいメロディーと歌詞は、子供達から大人までよく歌われていました。
当時、日本人のある若者がボランティアでフィリピンに滞在し、この曲に出会いそれに日本語の詩をつけたとのことでした。原曲はスペインとのことですから、スペインの長い統治時代から考えて、特に田舎では影響が大きく、定着していたのでしょう。
BS1スペシャル「幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」が7月31日(日曜日)午後7時から放映されるとのこと。
O君は英語とタガログ語を流暢に話すことができ、前職は日本でレストラン経営をされており、私も一度彼の自宅によばれ、プロ級の手料理をいただいたことがある。そして信頼の置ける友人であり、一緒に様々なボランティアを行っている。そういう人柄とコーディネート能力、そして3ヶ国語が操れることから、NHKなどの現地取材では、彼はまさに適任者であろう。
そして今日、以下のメールが届いたのでそのまま記載します。
Bridge of Spies ブリッジ オブ スパイ を観て
内容は旧ソビエトとアメリカの捕虜交換の手引きをした、ある弁護士の物語。あらすじは下記URL参照。
キーワードはアメリカの捕虜となったドイツ系ロシア人のスパイであるアベルが弁護士ドノヴァン役に扮するハンフリー・ボガードに対し、「Standing man. 不屈な男」と評する。そして、弁護士が捕虜へ死の恐怖を質問すると、必ず「Would it help? それが助けになるのか?」と応える。この言葉がそれぞれの生き方の個性を表している。
この映画は実話であり、我々が当時日本に配給されたアメリカテレビ映画「サンセット77」を、劇中でも弁護士の娘が観ていたことに懐かしさを感じる。しかし、その時、撃ち込まれた銃撃事件は現実では無かった様だが、そのぐらい米ソ間は冷戦状態でデフォルメされていた。ソ連の核攻撃に危機感を募らす国民感情は、敵国の捕虜の弁護士を疎んでいた。その原爆の恐怖を映画ではネバタの核実験場のフィルムを使っていた。
この弁護士の不屈に裏打ちされた知恵と、その交渉力は2:1の捕虜交換の実現と、その後、キューバにおける1,113人の捕虜解放と、9,703人の拘留者解放をさせた、ネゴシエーターであったようだ。
しかし、私にとって最高なのは、最後の帰宅場面である。
機密性の高い重要な仕事で出かけるため、弁護士は奥さんへ本当の行き先を伝えず出かける。そして捕虜交換に成功し自宅に帰るが、頼まれた土産のママレードは近所で買ったことにバレる。ちょうどその時、テレビのニュースで弁護士の活躍を紹介し、すぐに奥さんは2階の寝室へ上がると、疲れ果てた彼がそのままベッドへ倒れこんでいる姿を見た。
映画とはいえ、なんてカッコイイんだろう。
タッチIDステッカーの色による性格診断
スマホやタブレットのホームボタンは、最近指紋認証機能が付いているものが多くなり、また、液晶ガラス面を保護するフィルムを付けるユーザーも増えております。
しかし、そのフィルムの微妙な厚さがホームボタンとの接触面積を小さくするというディメリットを生んでいます。簡単に言いますとセンサー部を指で覆う面積が小さくなるため反応が鈍るということです。
このホームボタンにもフィルムを貼れば、フィルムとの高さを減らせると単純に考えるのですが、センサー部に余分なものを貼ると反応が鈍ります。しかし、「タッチIDステッカー」は指を置いた時の指紋凹凸の電極の電荷の差を、ほとんど影響なく読み取れるフィルム材質でできています。
さらに、カラーバリエーションをもったフィルムは、それを選択したユーザーの個性を光らせる効果が生まれます。周囲のリングと中央のフィルムの色の組み合わせは以下の通りです。
リングが「ゴールド」のタイプは中央のフィルムが「シャンパンゴールド」「レッド」「ピンク」「イエロー」の4タイプがあります。リングが「シルバー」の場合は「スペースシルバー」「ブルー」の2タイプがあります。
最近はリングが「ピンクゴールド」でフィルムが「ピンク」や、「ゴールド」と「ホワイト」の組み合わせ、「シルバー」と「ブラック」の組み合わせ、「ブラック」と「グレー」の4タイプの新色が発売されています。
統計学による色の性格診断は以下のとおりです。
シャンパンゴールドやゴールドを選んだ人は「プライドが高く、自己実現型」。
レッドは「パワーがある成功者型」。
ピンクは「世話好きで繊細型」。
イエローは「自由で好奇心旺盛型」。
スペースシルバーまたはグレーは「感性豊かな芸術家型」。
ブルーは「穏やかな冷静沈着型」。
ホワイトは「純粋で完璧型」。
ブラックは「強い信念がある独立型」。
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イギリスのEU離脱が確定して
姪のイギリス人の旦那さんが来日しており、今月初めに話す機会があり、イギリスに拠点を置いてある外資企業は殆ど残留希望で、「投票日に帰国をし、残留の意思表示をする」とのことでした。しかし、残念なことにEU離脱派が多数を占める結果となりました。多数とはいえ離脱支持票が51.9%、残留支持票が48.1%で拮抗し、投票率は72.2%とイギリス史上最多の投票率であった。
さきほど、「残念メール」で「ナショナリズムを懸念する」と送ったら、日系企業の役員の彼も「この懸念を共有する」とすぐ返事がきた。
為替がドル100円を割ったとか株安をニュースは報じていますが、それは一時的なことで、世界の多くの国が内向きな政策や、ナショナリズムの台頭を懸念します。これでアメリカがトランプ大統領を実現させれば、中国、ロシア、アメリカそしてイギリスがパワーポリティックスという、権力政治を行う土壌が出来上がることとなり心配です。
力に対し力で対抗すれば、それなりの戦争を辞さない覚悟が必要となり、一触即発の状況は避けられなくなる。これからは老獪かつ冷静な外交手腕を発揮でき、平和を理念とする国家リーダーが嘱望される。
もし、アメリカが沖縄からグアムへ全軍撤退し、その隙を中国軍艦が日本領海を侵犯した際、日本は本気で攻撃するのだろうか?それとも中国は、日本の口だけの抗議を無視し、太平洋までの規制ルートを確立するのだろうか?
このような状況になる前に、侵犯出来ない、適切なパワーバランスを各国と共に構築できるのだろうか? そしてその担保としての経済力を、どのようにつけてゆくのだろうか?
そして移民排斥問題も世界へ波及するだろう。日本もタックスぺイヤーや労働人口の減少と、移民政策のありかたを学ばなければならないだろう。
今年はどうも、政治経済のターニングポイントに来ているよう感じてならない。
今昔の北陸行き
北陸新幹線が開通し、金沢まで便利になった。30数年前に取引が始まり、その頃は車で何回か行った事があるが、それ以降は殆ど訪問していない。
当時は深夜、車を走らせ、始業時まで仮眠を取り、打ち合わせを終えて日帰りをする強行軍であった。若かったので無理も出来た。
今は高速道路も新幹線も完備され、その分旅を楽しむ余裕もなく、客先の説明会へ出席。当時の技術や購買の担当者は、すでに定年退職されている。工場もショールームが併設され、小綺麗な様相に生まれ変わっていた。
この会社との取引をするきっかけは、胸の内にしまっておこうと思っていた。しかし、今日の訪問で、人の縁という事実を残したほうが良いと思い直した。
もともとは、父の知人であったWさんがここと取引をしていた。その息子さんが後継者になるとして、若かった私を相談相手にと。お付き合いをする手立てとして、ここの仕事を私に手伝わせ始めた。それからしばらくして、悲劇が始まった。
ある朝、Wさんは工場の外で奥さんが命を絶ったのを発見。気落ちしたWさんは私に「息子を頼む」と。機会あるごとに、私は息子さんへ声をかけるようになった。またしばらくして、その息子さんは、会社で親父を巻き込んで焼身自殺。会社は半焼し事業を引き継ぐ人もいなかった。
驚いた得意先は北陸から飛んできて、面識ある私に経過を質問する。Wさんの意思もあり、納期を確保するため、「私が供給をする」と申し出た。その購買担当者は動転しており「そういうことは、こちらで決める」と怒り出す。
「正式な外注先が見つかるまで供給をする。これはWさんへの供養だ」と伝え、なんとか納期を間に合わせた。その後、経緯を理解していただいたようで、正式に取引が始まった。
帰りの新幹線の流れる景色を見ていると、遠い昔の出来事を思い出した。