markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

IT社会の功罪

ブログは日記と違い、検索により不特定多数の人が見る事が出来る。日記は他人の目に触れる事がないので、心の中を書き綴る事が出来る。もっとも著名人の日記は、彼の死後歴史的価値を見出され、暴露される事が多い。
ブログは自分の意見を多くの人に聞いてもらう事が出来る。しかし書くことで、内容によっては人様に迷惑を掛ける事もある。よって、進行中のビジネスや、発表前の新規商品の事などは書く事が出来ない。
自分の考えを書くと言う事は、文章が整理されていなければならない。また、毎日書くためには、一日の生活の中で問題意識と観察力が試されている。だからとてもいい勉強になる。反面、他人に読まれる訳であるから、内容いかんによっては己のお里が知れてしまう。

従って後輩には、是非ブログを書き続ける事を推奨する。他人の目があるので、気が抜けないはずだ。人間形成にはとても良い修練の場である。
日々反省の上に明日がある、そのような生活を続ける事を意識的にできるならば、密度のある人生が送れるのではないか。

IT社会の財産として、このブログとメールの件名およびCCまたはBCCの価値を知る。ブログは上記理由が考えられるが、CC(カーボンコピー)には情報を共有する、若しくはコンセンサスを得る事が日常的に出来る。また、メールの件名は複数の問題を、個別管理して同時進行できるすぐれものである。

友人のA君は極端な意見者であり、先日面白い事を言っていた。「俺はメールはやらない」と言っている人に対し、「周囲は狼煙を上げるか飛脚を飛ばさないと、その人とコミュニケーション出来ないのと同じであり、共同の社会生活が営めない」と手厳しい。また別な表現で説明を加えた。「もし一車線の高速道路に低速走行をする車がいて、後についた車に迷惑をかけているのと同じである」と。「高速道とはスピードを速めて、時間を短縮することがメリットなのだが、自分一人の行動が他人まで迷惑をかけている」とまで言っていた。
言い過ぎかもしれないが、時代に合わせた生き方、別な表現をすれば高速道路で、距離を保って走行する事が必要な時代となっている。
しかしプラス思考で、ITによる恩恵を考えれば、それはそれで楽しいものである。