時間調整に高崎高島屋のアートギャラリーを覗く。入り口には富士山等を描かれた風景画が2点掲載されていた。(この写真はイメージとして「朝霧の大正池」を掲載する)
30点程すべて風景画が掲載されていたが、お客さんはいなかった。ただ係の男が2人、ちょっと入りづらかったが。右端から1景ずつ感じるままに観て行く。油絵風の構図だが精緻な日本画で3Dなみの遠近感がある。手前に桜の花にピントを合わせ背景に山々が描かれている等。
「霧の明神池」というタイトルだったと思うが、霧の白の上に白樺の白が重なっているのだが、その霧の白さが余りにもリアルで「ひょっとしたら和紙の白をそのまま残したのかな?」と思った。ちょうどこの個展の作者である「原宏之」氏が手持ちぶさたにしておられたご様子、この疑問を素直にぶつけてみた。
「全体の構図を最初に考えてから、この和紙の生地を残した」そうだ。ご本人は最初は油絵をやっていたのだが、塗り重ねるために乾く時間をまたなければならない。「日本画はニカワの難しさはあるが、慣れればそれほどでもない。日本画はイメージをそのままタイムリーに描ける。」とおっしゃっていた。
一見、写真のようにも感じる絵なのだが、本人のスタンスは「難しい絵は書斎へ、自分の絵はリビングでそれとなく観ていただく」とのこと。その中でも敢えて書斎向きな絵とも言える「冬の朝」がとても良い。雪景色に枯れ草と木立を、まるでモノトーンのように表現されており、静謐な白さはやはり和紙をそのまま残している。一本一本の枯れ草のたて線が横に流れる雪のカーブを想像させてくれる。丁寧な筆のタッチだからこそ出来る技巧だろう。
一通り鑑賞してから、価格札を見ると大体3,40万円が多いがこの白さを基調とした「霧の明神池」と「冬の朝」だけは70万円台だった。値札を見始めた頃、画廊の担当者が傍により「先生の性格の穏やかさがこの絵に現れています。この霧の絵は評判が良いですよ。」とか声をかける。私は美術館で絵を見る程度で、購入のためには観た事がない。このような売り絵の対応に違和感を感じ、先ほどまでの、絵の白さに惹かれた思いが吹き飛んでしまった。