後輩のH君のアレンジで高崎市の富岡市長と町先生の面会が実現。高崎庁舎の6階を訪れる。市長公室前のソファーで待っていると松本副市長が来られる。高崎駅東口の開発では永年携わり、力量を多くの人から評価されている。素晴らしい生え抜きの人材である。
約束の時間ジャストに町先生が来られた。すぐに市長室へ通され、直に富岡市長が来られる。市長選でTVを通してだけだったので、思いのほか小柄な方だった。前松浦市長も小柄であったが、両市長ともエネルギーのある方に見受けられる。
同席はしたものの私の役割は果たせたと、お二人の話を聞いていた。
1981年ごろ町先生がIAEAの課長時代ジュネーブにおり、ちょうどその頃富岡市長は文部省から外務省在フランス日本国大使館一等書記官としてパリにおられた。町先生は12年間IAEAに勤められ、課長から事務次長へ昇進された。
高崎の地に住居を構えたのは、日本原子力研究所高崎研究所所長が縁で、すでに40年住んでいる。
本業の原子力の話題に移る。今、心を痛めているのは、原子力開発や管理に際し、人材育成がなされていなかったとのこと。そこで現在は原子力利用に際し、危機管理や防災できる人の育成を重点に置いている。
来月はベトナムに行かなければならない。日本とベトナムの首脳間で原子力発電の支援を国際約定してきたが、今になって菅首相が脱原子力依存と言いだし、今度のベトナム行きは面倒になってきた。ベトナムは共産主義の一党独裁に見えるが、内容はいたって民主的で、原発利用を10年前から国民のコンセンサスを築き上げ、当初はロシアと日本が2基づつ原発を設置することになっていた。
福島の原発の話題となり、福島は日本でいちばん古く一番標高が低いところにあり、補助電源の設置場所を対策しなかったのは信じられない。この原発は独占状態で競争もなく、東大閥の原子力専門家の中で行われており、役人には説明をするのだが、一般国民に対しては説明不足であり信頼への評価が落ちる。
日本は科学技術立国として海外に安全を説明できるようにならなければならない。脱原発で日本のエネルギーを確保することは現実的ではない。県内12市町のアンケート調査で、自然エネルギーだけで対応するという上毛新聞のアンケートにNOと言った3人の市長の一人である。
(続く)