markdadaoの日記

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求愚庵の日記

山暮らし・海暮らしをしている草舎人氏の日記と巡り合った。その中でも下記の70歳の誕生日に書かれたブログを読み、素晴らしい人ほど野に下ってひっそり生活をしていることを知った。もしこのようなブログが無ければ決して知りえなかっただろう。同時期を生きて、様々な社会現象への捉え方を知ることはこの上ない幸せである。

今日70歳の誕生日
 今日が誕生日、70歳になります。これには一つの感慨があります。先日も書きましたが、60才で山での年金生活に入りました。女房を失った悲しさも山に癒されました。そして思ったのが僕の70歳定年説です。60才はまだ゙若い、昔の福田首相が「50、60代はチンピラ小僧」と豪語しましたが、僕も同じように思っていましたが、するとどうしても70代はその対極になり「70に成ったらこの世との引退」としてきたのです。後のことは考えませんでした。その70代に入ったのです。
 60代は山で本を読み、地震をめぐる新聞の連載小説や伝記物の時代小説を書いていました。それまで病気に縁が無く、病院にも入院したことがありません。その僕が3年前に台所の火の不注意で火事を起こし、重症の火傷で3ヶ月入院しました。皮膚に神経が生えてきたときの痛みは、死ぬほどの思いでした。
 「神がこんな目をさせてまで生きさせるのは、僕にまだやるべきものがあるといっておられるのだ」と思い、思いついたのが老子の思想の普及でした。だけど山の仙人には何も出来ない。ひたすら後に活動してくれる人たちのために分かりやすい解説書を書こうと思いました。
 老子の精神は「少欲知足」、つまり欲望を抑える事が社会の安定に繋がるという思想です。老子は神を否定します。神以上の存在が宇宙にあるとしますが、その実体を「無」とするのです。
 次が釈迦、釈迦は人をめぐる全ての存在を「空」として、あらゆるものに対する執着を絶つよう説きました。老子と釈迦は紀元前2500年前の同世代の人です。場所の違う「無」と「空」の観念の存在は僕をとりこにしました。
 釈迦を終えると次は旧約聖書モーセに入りました、モーセはさらに前の存在ですが、旧約聖書がまとまったのはバビロンの補囚の解放後と見ました。これも2500年前のことです。そして旧約聖書が人類最高の叙事詩であることを確認し、これにも突き進みました。
 しかし無理をしすぎました。昨年に難治性の肺炎になり、長い入院生活の後、医師の「坂の多い山の生活は肺に負担が掛かるので平地に降りるように」という忠告で、海の安良里に移りました
 海では体は快調ですが、釣りの楽しみに取り付かれ、旧約聖書の意訳は止まったままです。そしてこれからが70代の僕の勝負です。