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「父性の復権」を読んで

 

父性の復権 (中公新書)

父性の復権 (中公新書)

 

 

著者は1937年に長野で生まれ、深層心理学がご専攻の林道義氏。

私の父は軍人であり怖く遠い存在であった。青年期になり幾分距離が狭まってきたが、私が成人になる直前、父は他界した。自分が人の親になり、父を無意識に反面教師として、子には友達のように接しようとしたが。

この著者は「友達のような父親」は実は父ではない。『父とは子供に文化を伝える者である。伝えるとは価値観を押し付けることである。上下の関係があり、権威を持っていてはじめてそれができる。』と、冒頭に言い切る。

そして、『「父」は楽で自然ではいけない。そもそも父とは無理をしなければ務まらない役目であり、母が「自然」であるとすれば父は「理想」なのだ。父とはもともと「しんどい」ものであり、「しんどさ」に耐え、理想を追求するのでないなら存在意義がなくなる』とまで言ってる。以下に関心あるところを抜粋する。

 

家族の形成について:二足歩行に移行して人類となったため、脳が大きくなり、成熟した子供は産道を通ることができない。そのため、身体が未熟なうちに産まなければならなくなった。猿のように自分の力で母親にしがみつくことができないので、人間の母親は常に子供を抱くため、少なくとも片手をふさがれ行動が制約される。初期人類のオスは、この母子を見捨てないで、母とカップルを形成し、父となり、母子の面倒を見ることになった。

 

父性が最も必要とされるのは子供の健全な心理的発達にとってである。

 

母が子供の世話をするとき、最も大切なことは母の心が安定していることである。母の心が安定しているためには、夫との関係が良好であることが決定的に重要である。いったん母体と離れた新生児は、改めて心理的に母と結合しなければならない。

 

母子共生の中にいる子供にとっての最初の対象が父である。父は子供の好奇心の対象であり、母より強い反応で応え、また刺激を与えて子供の強い反応を導き出す。

 

子供は父親の望んでいるような、あるいは父親の理想としているような男性なり女性になろうとする傾向をもっている。

 

文化とは「人間が学習によって社会から習得した生活の仕方の総称」であり、文化によって人類は互いに協力してより高い、より美しい生活を営むことができるようになったのである。これを継承し、必要ならば革新するのが父性の大切な役目である。

 

家族の各メンバーの欲求や感情、希望や目標を父親はそれらが互いに競争し合うことなく、協力し合うように調整し、それぞれを全体の価値観の中で一人一人のあり方が決まっており、お互いに助け合ってそれぞれの目標を実現するという協力関係を作り上げ、秩序づけるのが父性の役目である。

 

幼児に絵を描かせると、必ずと言っていいほど太陽を描く。それは幼児が自己中心の世界にいるからである。学童期に入ると自分を客観視しはじめるために、ほとんど太陽を描かなくなる。つまり自分を世界の中心とは見なくなるのである。大人になっても太陽の絵を描くのが分裂病の患者である。

 

抽象的な高い原理を示し、それを中心にして家族の生活全体を構成し、抽象的な原理を具体的な場面場面に適用することを子供に学ばせること。

 

「価値の多様化」とは、個々人は自分の価値をしっかり持った上で、その価値がいろいろであるという状態。しかし現在の「価値の多様化」は、社会的に価値が多様化している中で、一人一人がどの価値を選びとっていいか分からないという状態であり、「価値の喪失」の時代と言うべきなのである。

 

最高責任者のはずの政治家は官僚任せ、官僚は現場任せ、現場は上司の指令待ち、ということでは、誰も責任をもって判断する人がいない。結果は被害者だけが苦しめられるということになってしまう。

 

リーダーの選び方:日本人は、何もしないことに対してはあまり批判されないが、何かをして失敗すると辞職させられるほどに非難が集中するという体質。人格と能力を基準にしてなされていない。たとえ能力で選ばれたとしても、その能力が記憶力を中心とした学力だけ、判断力と決断力はほとんど考慮されていない。大切な地位には能力のある人を選び、十分に腕をふるってもらおうという意識がなく、逆に能力のある人の足を引っ張ったり、いじめたりするという体質が根強い。

  

民族の文化を次代に伝えていく中で、子供の構成力を養っていくのが父性の大切な役割。父が主導する非日常的な行為が、何か特別な意味と感覚をもって子供の心に染み透るのである。

 

父親が子供と遊び、また何かを教えるということは、そのことだけにとどまらないで、もっと大切な精神ないしは感覚を伝えているのだということを自覚してほしいものである。

 

感情だの無意識だのが働いてはいけないところでは、抑えることができることが、価値からの自由とか、無意識からの自由という意味なのである。

 

 

戦後民主主義の元で育った世代の人たちは、権威と権威主義とを混同して、権威そのものが悪いと考えている人が多い。子供が健全に育つためには、健全な権威が必要である。特に男の子にとっては、父の権威が正しく機能することが是非とも必要である。

権威を成り立たせる4つの条件。能力、信頼、知恵、愛。

 

子供が自我を形成していくときに、二つの重要な要素がある。第一反抗期の頃(3歳まで、せめて5歳まで)、秩序感覚を身につける。第二反抗期の頃、社会規範を学び普遍的な価値観を持つこと。

 

戦中派ー団塊世代団塊ジュニアという、親ー子ー孫の世代交替の中で、戦中派の心理状態と関心は敗戦時でストップしており、戦中派は稀有の戦争体験によって種々の外傷体験を持ち、強烈なコンプレックス(あらゆる価値を信じることはできない)により父性が欠如した。それが子供の世代である団塊の世代にも一定の刻印を与え、さらに孫の世代までも少なからず影響を及ぼしている。

父性を持って育てられなかった団塊の世代の最大の特徴は「親子の対等」を理想にしている親が多い。また、この世代は「自主性を重んじなければならない、押し付けはいけない」という価値観を持っているため、しつけができない。自主性とは、あらかじめ価値観があってはじめて持ちうるもの、ということがわかっていない。

親子関係が対等であれば、子供は親から自立しようという衝動が出にくい。権威をもっているからこそ、子供はその親から自立し、親を乗り越えようとする。

電車の中でマンガを読んでいるのは、団塊の世代から始まった現象。権威そのものを否定し、大人の価値を否定し、大人への移行を否定する価値観から出た、確信犯的な行動。

 

「父性の復権

父性と男性性は違う。男らしくても父性のない人はいる。父性とは家族に対する関係や態度。

「子供は親の背中を見て育つ」は逃げ、子供の方へ向いて、子供に働きかける存在でなければならない。

一方的なアクのある「語り」を持って父の考えを一方的に示す。父親が死んでから、家族に強烈な思い出が残るような父親が、良い父親である。

子供が一度でも父親から感動を与えられたり、父親の意見が参考になったことがあれば、一般論を論じるふりをして、子供はそこから何かを掴んで参考にする。

与謝野晶子は「美的感覚が道徳の基礎」と言っている。教育の中での美的感覚についてもっと重視していいのではないか。「ふさわしいか、ふさわしくないか」、「人間としての品位」も教育の基準として入れたい。