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markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

「散歩の時 何か食べたくなって」を読んで

お馴染み池波正太郎著の「散歩の時何か食べたくなって」を読んでいると、終いの方に未来を暗示することが書かれていた。

・・・いたずらに古いものを懐かしみ、それを追い求めているように思われようが、それでは、新しいものは何かというと、それは、誰もが知り尽くしている味気ないものなのである。

その味気ないものしか知らぬ世代のみの時代がやってきた時は、味気もない世の中になることは必定なのであって、そうした世の中に慣れきった人々は、味気なさをも感じることなく、さらにまた、新しい時代を迎えることになるのだ。

ただ、古いものの味わいが衣食住に残っているうちは、「これを味わいたい」と、考えているだけのことだ。

新しい新しいといっても、究極の新しいものというのは何一つないのだ。

新しいものは、古いものからのみ生み出されるのである。

科学と機械の文化・文明のみが、いかに新しくなっても、食べて飲んで眠って、しかも排泄するという人間の生理機能は、古代からいささかも変わっていないのだ。

この、わかりきっている一事を世界の人間たちが再認識せざるを得ない時代がやがてやってくるに違いないと私はおもう。

池波正太郎の感性に触れた”食べ物やそのお店”のことが書かれている本であり 、その価値観を知りたかった。しかし読み進むにつれ、上記のような考えに出会うことになった。

そして彼は、1964年の東京オリンピックから江戸・東京は変わったと言う。その時代を生きた私たちは新幹線や首都高速道路には関心があったが、今思う、旧き良き物には目が向いていなかったようだ。2020年の東京オリンピックの影響はどうなんだろう。

人間の歴史と知識が集積された旧き良き物の価値を知ることが、その人間の品格をも作ると考えられる。そういう人たちは世間でいう「通」、「粋」なんだろうね。

昔から続いている食べ物は、その伝統を守り、磨かれた職人の腕から生まれる。そして今の今味わうことができるのだから、この実感は是非体験したいものだ。

 

散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)

散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)