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markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

富岡市を傍観すると

小論

川越街道を北上し、更に国道254号線を辿り関東平野の奥まったところに内山峠がある。その下仁田町の手前に、三方が山で囲まれた私が住む富岡市がある。南に鏑川と北に高田川の川州にあり、雪も多く降らず、赤城おろしの空っ風ほど厳しくはなく、むしろ温暖なまるで盆地のような風情がある。

近隣の高崎市のような交通の要衝でもなく、地勢的には閉鎖されているが、歴史的に異文化を受け入れる素地があったと思われる。

それは明治4年に廃藩置県で七日市藩が廃藩となり、同時に明治政府が近代産業のモデル工場として明治5年には官営富岡製糸場を建設した。この町が中央政府に工場新設のため誘致活動をした、等の資料は見受けられない。逆に建設反対運動をおこした歴史もない。そのまま受け入れ、需要と供給より新潟や長野など各地域から商人や業者がやって来て、製糸場目当てに料理屋、旅籠、花街そしてそれら日常品を売る店等が周辺を形成し町の発展に寄与したと思われる。今でもその頃、富岡に移ってこられた商店や企業が存続している。

そして、約30年前より地元青年会議所などは製糸場を核とした町づくりの活動を行っていたが、行政や町全体の雰囲気は無関心であった。しかし当時の県知事であった小寺体制の中で、重要文化財ユネスコ世界産業遺産への登録実現に向け活動を始めた。地元富岡市では有識者こそその動きに同調するものの、行政は「費用がかかるのでやめたい」という消極的な意見も聞かれた。が、大きな反対運動をするわけでもなかった。

それが、ひとたび世界遺産登録が確定すると、製糸場周辺のシャッター街は店構えを変え、地元企業も出店はするが、「おぎのや」等外部企業の進出も目立つ。そこで売られる富岡製糸場の土産の殆どは、外部企業のものである。また工業界でも地元大手はその殆どが外部から転入している。

古くから栄えた町は、「よそ者」が入り込むには時間がかかるのだろうが、富岡は新参者がその時代その時代の主流となり、町を形成した歴史がある。それは良い意味での「ウインブルドン現象」が富岡にはあり、自由競争により外資が参入し、町の活性化に寄与するパターンである。