markdadaoの日記

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上海からK君の「気がメール」

9月14日の「寝際の枝雀寝際の枝雀 - markdadaoの日記を読んで、以下のメールをよこした上海にいるK君のメールを掲載します。

俺は酒を飲んで寝るから、落語を最後まで聞くことはまずない。たいていすぐに寝てしまいます。
夜中に目が覚めて眠れない時、また聞き始めるとよく聞いてしまって。情景を浮かべては、夜中にくっくっくっく、ひっくひっくと涙ながして笑って・・・。おれ一人だからいいけど、あんまりいい光景じゃないね。

たしか枝雀は大学出で若いころ、英語で落語をつくってアメリカに演りにいったこともあったんじゃないの。頭が良すぎて特別なウケを狙いすぎて、理想の自分と現実のはざまで、苦しんだんだろうね。

おれが、杉並で小さい後援落語の会で司会をやっていたころ、三遊亭好生という人がいて、その人が俺の結婚式の司会もやってくれた。筑波サーキットを走っていたころ、金ももらわないで、スポンサーのごとくレースに出て宣伝していたころがあるんよ。青春まっただ中。俺もまだ髪の毛がふさふさしていた。・・・(写真中央)

その三遊亭好生の師匠である三遊亭円生落語協会を脱退したもんだから、寄席に出られなくなってしまった。春風亭柳橋のところに転がりこみ、一柳亭一柳と名乗り寄席に出ていたが、ある日予告もなしに11階から飛び降りてしまった。
その晩のお通夜に小三治がオートバイに乗ってきて、「あのやろうはなんてばかなことをするんでえ、傘も持たねえで飛び下りれば死ぬに決まってんだろう」と言って涙を腕でぬぐっていたたのを思い出す。

円生師匠にあこがれて、話の仕方もそっくりにまねしたところがたくさんあった、そんなに惚れていた師匠に捨てられて。しかし新しい道を目指す自分の噺のなかにしみ込んでいる師匠の語り口が捨てられずに悩んでいたんだと思う。

話は全然違うけど、荻窪の青梅街道にむかし傘屋があって、そこの息子が若杉小学校(教会通りの近くにあった)に通っていて、売り物の傘を開いて学校の二階から飛び降りて両足を骨折した事件があったの知らない?
こういうのがいるから話がややっこしくなるんだよね、ホントにやる奴がいるんだよね。


日大二高当時、誰かが「傘を開いて飛び降りたが失敗した」と言っていたのを思い出した。「傘がオチョコになったからだ」と言う奴がいるから、K君では無いが更に話がややっこしくなる。