昨日の日経新聞に、タブレット端末の活用記事が以下のように掲載されていた。
このブログでも以前記載したように、お年寄りが重たい商品を購入する時の支援として、各自宅へ市からタブレット端末を貸し出し、受発注できるシステムをつくることで便利で豊かな町になると提案していた。これが、すでに東京の都心でスーパーやコンビニのサービスビジネスとして確立をしてきた。
そのうち教育現場でも、タブレット端末を小学生から高校生まで配布し、教科書の代用や家庭と学校の連絡にも使うようになるのではないか?また、低学年の登下校の安否確認にも使える。
Kindle等がソフト面でも充足してくれば、読後の本の処理に困らなくなる。検索も容易になるし、廃版の本の入手も可能になる。本と言う知識の集積が、新たなるツールとして生き返る。必要ならば文字を読み取り、音声で聴読することも可能になる。
たった1日の新聞紙面に数件のタブレット端末の記事が掲載されているという事は、このような時代がすぐそばに来ている証拠である。我々はブラインドタッチと、ITを理解することが必要となろう。行政はタブレット端末等のハードと、Wi-fiなどの通信インフラ整備の予算化が検討課題となるだろう。しかし、便利という文明の進化だけで人間に幸福をもたらすとは考えにくい。従ってソフトウェアーを提供するIT関連企業は、人間本来の幸福感を理解する哲学を持つべきだろう。