2回目のワクチンは肩の痛みより、翌日は倦怠感に苛まされウダウダと一日を過ごす。
今週末は久しぶりに思い切って軽井沢へ。糠雨の中、濃淡の緑にシャッターを切る。
いつもの追分の蕎麦屋で昼を摂り、お茶を飲みに万平へ行く。旧軽やアウトレットほど混んではいないが、コロナ禍の梅雨でも人は考えることは似たかよったか。
連れはJohn Lennon好みのミルクティー、こっちは長野のアップルティー。その連れは「以前ここでテニスウエアーの小野洋子を見かけた」と、ここに来るたびに言う。
そう言えば先月、小野洋子宅(NY)に居候し彼女のバンドのギター弾きの方が、ウチのトランスを買いに来てくれたな。想定外ではあるが、人の出会いは必然と思う。
帰りにツルヤへ寄り、思いもかけず台湾産のライチを入手。昔、抱えるほどたわわに実った枝付ライチを果物屋で見つけ、宿泊先の台北のホテルの部屋で貪りついた思い出がある。最近は冷凍物が主流だったが、これは生でタネが小さく甘い品種、今しか食べられない旬のもの。
コロナ禍で食べに行かれない、フィリピンのカラバオマンゴ。ワシントンDC近辺の木槌で叩いて食べる、チリパウダーまみれのワタリガニ。香港のニンニクで揚げた大きな蝦蛄。キリがないが好物の一つであるライチが食べられた事は幸せ。
軽井沢から和美峠を下り、下仁田の荒船の湯に寄り、まだ陽が明るい露天で足腰を伸ばし、頭の中は「このままオリンピックが開催され、テレビからアスリートの美技に熱狂し、閉会式の頃にはワクチン接種も加速し、以前の生活に戻りつつあるだろう。」
しかし急ブレーキをかけた経済活動を、今度はアクセルを急発進させるため、素材や部品、そして流通がオーバーフローし半年は値上げと入手混乱が生じるだろう。
1970年代の第一次オイルショックの混乱でも、落ち着きを取り戻すのに半年を要した。今回のコロナショックでは人類の叡智はいかに?
オイルショックの際、戦争を体験している母はトイレットペーパーが無ければ古新聞を揉んで使えば良い、お米が無ければパンを食べれば良いと言っていたな。