markdadaoの日記

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峯岸正典老師の講演会

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曹洞宗護持会「微笑会」の記念講演に峯岸さんが講演をされるとの事、5月19日、甘楽町文化会館へ赴く。

老師は上智大学大学院を卒業され、愛媛県瑞応寺で修行。その後ドイツの修道院で修道生活を体験され、ミュンヘン大学で神学を学ぶ。そして宗教間対話研究所を開催し、永平寺の国際部の講師等を歴任。NHK「こころの時代」「ラジオ深夜便」「宗教の時間」に出演、国内外において禅を説いているとのことです。下仁田町本宿「長楽寺」住職。

 

演題は「菩薩の誓願・・君のためにできること

舞台中央の演題で訥々と語られるかと思いきや、「今日はパワーポイントでやります」と。笑いネタを混じえ観客の関心を掴みながら話し始める。以下に主だった内容を記す。

 

拈華微笑(ねんげみしょう)とはお釈迦様が花を拈り、弟子のマカカショウ様が一人微笑む。(分かったという意)→私たちは同じ世界を分かち合っている。

 

お釈迦様がある晩、ラーフラ(お釈迦様の子供)へ「まさに苦を忍ぶべし」と説いた

「苦」とは思い通りにならないこと。四苦八苦とは①生、②老、③病、④死、⑤愛別離苦、⑥怨憎会苦、⑦求不得苦、⑧五蘊盛苦

求不得苦とは欠けた月がまた満ちることにより「若返る」とし、月に変若水(おちみず)があるとされており、それを飲むことで不老不死の薬となる。不死とは不老長寿であり最終的な欲望である。これは求めても得られないもの。

五蘊盛苦とは人間の心身活動を5つにわかられるとし、色(身体)、受(感覚)、想(概念)、行(心で決めたこと)、識(記憶)がありそれぞれに執着することが苦であると説いている。

「苦」の意義。苦とは私たちを磨く砥石である。「苦」(煩悩・執着)がないと人間的に成長できない。苦と向き合うということは煩悩と向き合うことであり、そこに気づき(覚り)が生まれる。

「苦」を生かした人として日野原重明先生を紹介。経験より患者に「寄り添う」医療を信念とした。その寿命を、自分のために有効に使うことも大切だけれど、他人のためにも使って欲しい。他人のために自分の時間を使う人を「菩薩(ぼさつ)」と言う。

 

禅問答として楢崎一光老師に峯岸老師は「いかなるか これ出家と在家の違いは?」(坊さんと一般人)

「ともに道を求める菩薩なり」との答え。

 

「遠慮」とは遠くにおもんばかること。その「遠い」とは困っている人がいるところ。

 

「人生は死ぬか 精一杯生きるか」だよ。

 

言葉の大切さ:1つの言葉に泣き、1つの言葉に笑う、そして、1つの言葉でつまずき、1つの言葉でよみがえる。 (出典:中西智海勧学)

 

今日が人生最後の日だとしても、今日する予定のことをしたいと思うか (出典:スティーブ・ジョブスApple創業者)

 

「今日が人生最後の日」「ある中で一番良いウイスキーを飲む」 (出典:帯津三敬病院 帯津敬三先生)

 

逆算の人生:人生の最後を思って今を生きる→死を考える→本当に大切なものが見えてくる→生き方上手になる。

 

雨が降らないと虹は出ない:辛いこと、苦しいことがあって、はじめて、美しく大切なものに気がつき、喜びがある。

 

年をとった、身体の具合が悪い、自分を卑下することなかれ。

 

心の残る生き方:桜は咲いている時も美しいが、散ってからより一層、その美しさがしのばれる。

有限であるからこそ、美しく生きることができる。

 

 

 

難しい事を言っているのはまだまだで、誰にでもわかるように話されるのが本物であり、特に宗教という大哲学を咀嚼して語るのは並大抵ではないと思う。大西良慶清水寺管主の卓話集を読むとそれがわかる。峯岸老師も難しいことは言わず、わかりやすく、また表情を崩さず面白いことを言う。

私は初めて長楽寺へ赴き、話をしながら不覚にも涙を流した思い出があり、今回も別れ際に「またいらしてください」との挨拶言葉に赤面する思いであった。