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「十五歳の戦争」を読んで

 

十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」 (集英社新書)

十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」 (集英社新書)

 

 

今年の終戦記念日は西村京太郎著による「十五歳の戦争」、副題陸軍幼年学校『最後の生徒』を読んだ。

北朝鮮とアメリカによる恫喝にあけくれる8月、国際法を無視する国のトップ同士だから戦争のリスクは避けられない。しかしそれぞれのトップ周辺は会話による解決に腐心しており、両国は挙げた手のおろし場所を探っている。両ブレーンはトップを諌める術を持っていないので「腐心」とあえて言う。

 

 

読後感想だが3章に分かれており、第1章はタイトルの「十五歳の戦争」として、幼年学校の頃の実体験が書かれている。

 

第2章は「私の戦後」の実体験。特筆するのは著者が人事委員会の職員となり、これからの役人はパブリックサーバント(公務員)でなければならないことと「同一労働同一賃金」の実現ということにあった。しかし未だ、日本ではこの「同一労働同一賃金」が定着しない。アメリカは一つの仕事に対し賃金を払うが、日本ではその仕事をする人間に賃金を払う。だから高校出より大学出の方が給与が高い。非正規より正規の人間の方が高い。

 

第3章は「日本人は戦争に向いていない」。

永田鉄山 - Wikipedia

陸軍士官永田鉄山を評価し、永田は第1次世界大戦にて「散開戦法」から「疎開戦法」に根本的な革新が起きたことを指摘している。そして日本人はこの現代戦に向いていないと言っている。思うに今のISなどによるテロも個人の力量で争いを起こしている。

日本では永田鉄山のように理性的で、切れる人間は人気がなく「豪傑型」に人気があった。部下に全幅の信頼をおいて、口を出さず、思う存分腕をふるわせるタイプ。これは、不勉強で、時代遅れで、老朽化した自己の隠れ蓑にできて、「肚」という曖昧で、言質を与えぬ黙認で、責任を回避できる。

 

「なぜ、日本の軍人は、死を生の上に置くのか」生が死よりも大事であってほしい。戦争の中でも、生が、上にあってほしい。特攻や、玉砕で死を美化したが、外国との戦争は勝つか負けるかしかないし、死んだからといっても、ほめられはしない。

 

明治時代に作られた「陸軍刑法」があり、裁判に備えて、法務官もいたが、東条英機の「戦陣訓」により裁判制度をないがしろにした。陸軍刑法により裁いていたら、南京事件は起きなかったかもしれない。

 

日本の軍隊は上意下達は絶対的なものだが、師団長以上は任命権者が天皇のため、責任は現場の段階で処理をする。従って戦後の東京裁判では、大本営の命令を愚直に実行した現場の責任者が罪を負った。

 

「日本は戦争の中立国になるべし」しかしスイスのようなしたたかさが必要である。スイスは60万の民兵による武装ではなく、戦況から対応した狡猾な戦略があって、中立が保たれた。


沖縄は400年以上前、薩摩侵攻が行われ、明治政府によって「琉球処分」をした。太平洋戦争では本土決戦の時間稼ぎに利用をした。沖縄の中学生以下は標準語を話すが、老人の現地語は理解できず、また、戦前貧しかった沖縄県民の多くが連合国側へ海外移住しており、島民をスパイとして見ているフシもあった。従って日本軍は沖縄県民を信用していなかった。現在も、管理会社のオヤジが、持ち主から部屋を取り上げ、金持ちのアメリカ人に貸してしまったとしか思えない。

 

反対をすることもなく、特攻の死を黙認してしまった日本人は、権力に弱いのかもしれない。個というものが確立していない一般の兵士たちは、戦陣訓を守り、その教え通りに、戦い、玉砕した。

 

戦後は、現在まで戦争はなかったが、原発事故があった。その時も、虚偽の報告を重ね、責任を取ろうとせず、ひたすら組織を守ることに、汲々としていた。これではとても、現代戦を戦うのは、無理だろう。よく言えば、日本人は、平和に向いているのである。

 

日本軍が南京に傀儡政権を作るために選んだ汪兆銘の言葉。「現在の世界状況から見て、どの国が勝者になるかわからない。そこで、私は、日本と手を結ぶことにした。蒋介石はアメリカと、毛沢東ソビエトだ。これで、日本、アメリカ、ソビエトのどこが勝っても中国は安泰である。」