markdadaoの日記

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「世界遺産への道を拓いた男たち」を読んで

 

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大塚製薬の社内報「大塚薬報」の2017年5月号に「世界遺産への道を拓いた男たち」、副題「旧富岡製糸場の見えない礎」の特集号がある。これを著したのは、紀行作家であり一級建築士稲葉なおと氏である。

歴史にはスポットライトを浴びた人達と、逆に時間とともに埋もれてしまった人達がいる。著者は副題の「見えない礎」に着目し、旧富岡製糸場世界遺産への過程で、影の立役者である4名に光を与えている。

しかし、残念なことに社内報では一部の限られた読者ということで、この稲葉氏から見た事実をブログに載せることで、少しでも多くの人たちに知り得て欲しいと願う。

 

まず最初に片倉工業第11代社長柳沢晴夫氏。旧富岡製糸場が現存しているのも、片倉工業が利活用を考えた保存を工場停止以来18年間、固定資産納税と年間約1億かけて建物を維持してきた。私も当時の管理課長さん(本社総務課所属で富岡工場の管理者)から、製糸業の「トップの中のトップ」として維持すると聞いていた。

次に当時新市長になった今井清二郎氏。就任後すぐに片倉工業へ出向き柳沢会長(当時)と面談し、旧富岡製糸場の保存活用への協力体制が作られた。また、今井氏は当時から、製糸場を題材とした著書などを発表している。

旧富岡工場が文化財指定も受けていない時に、「ユネスコ世界遺産登録するためのプロジェクト」を発表した小寺浩之知事。当時は誰もが地方の一工場跡をユネスコ世界遺産登録するとは想像をしていなかった。私は第1回シルクデーを開催するにあたり、当時副知事だった小寺氏へ協賛金のお願いに訪問した。価値について共通認識するものの、こちらは40才前の若造で貫禄に圧倒され、副知事の袖についている銀色のカフスが今も目に残る。

小寺知事がプロジェクトを公表する4年前より、旧富岡製糸場世界遺産登録へ道筋を切り開いた功労者清水慶一氏。各大学で教鞭をとりつつ国立科学博物館研究室室長、参事を歴任。日本の近代化に貢献した産業遺産の調査員として、毎週群馬を訪れていた。

柳沢氏は平成15年に、小寺氏は平成22年に、平成23年には清水氏が永眠。そして、平成26年富岡製糸場ユネスコ世界遺産へ正式に登録された。

元市長の今井氏は一市民として偉ぶることなく飄々と、今もなお旧富岡製糸場の観光支援活動として、手作りの紙芝居の脚本や演者そして著述をしながら活躍している。

私はこの4名の他に、富岡製糸場内で1981年から地元小学生などと写生大会を行い、1986年から旧富岡製糸場の利活用を目的にシルクデー(イベント)を開催してきた富岡青年会議所の会員たちも、その礎として立派な役割を果たしてきたと考える。

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