markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

プロセスも目的となり得る

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S君から電話を受け、彼らの主催する懇親会に参加する。ロータリークラブ(RC)関連の集会はここ数年参加することも少なかったのだが、私がRC研修プログラムRLIにそのS君を誘った縁と、その時の中村講師が埼玉から来られるとの理由で断る理由はなかった。

 

少し早めに会場へ到着したはずだったが、すでに皆んなが揃い、ちょうど始まったところであった。慌ただしく案内された席に座り、隣席の方に挨拶した。

なんと約30年前に知り得た同業のCさんで3年前入会されたそうだ。彼は私の事を良く覚えていてくれたが、当時20代でスラリとした彼と、恰幅の良くなった今では私にはイメージできなかった。

しかし、話を進めるに従い共感できる事が多く、食事を忘れるほど話が弾み、そして再会を約束した。単に偶然というより、身体を運ぶ事で縁を作り、それを深める事ができると確信を得、その機会を作ったS君に感謝。

もちろん他の、例えばH君には常日頃考えている事を伝えた。それは「プロセスも目的となり得る」と言う事。通常は目的を設定し、達成、また次の目的を立案し、結果を作って行くのだが。

戦争で言えば敵国を負かす事を目的するのだが、ギリシャアテネ国は「健全な肉体美」を目的とし、結果として国家が存続できた。それに対峙してスパルタ国は「戦争に勝つ」ことを目的としたため、戦争が無くなったとき国は滅びたと言われている。RCも「Ideal of Service(奉仕の理想)」を目的とし、奉仕を日々の実践理念として行動、結果として100年以上の歴史を作っている。

このように考えると、手段(プロセス)を目的にすることで人々の行動指針と、集団の文化を形成させ、恒久的な目標となる。しかし、達成感の無い目標はほころびやすいものだが、その指針を哲学的、宗教的に染めることで継続がはかられているのだろう。

私たちは宗教というと、ちょっと距離を置くこともあるが、最近はお寺の坊さんが主体となったテレビ番組もあり、キリスト教のクリスマスやバレンタインデーもなんのためらいもなくやっている。そうなるとRCもJCも宗教ととらえれば、納得する部分もある。それは身銭を切って、時間を都合して人のため、社会に役立つことをやっているなんて、ほかでは類を見ない。

しかし、宗教論は難しいのでこれ以上触れないが、多くの人が納得する精神的な文化を行動指針にすることで、集合と継続ははかれるのだな。これは人間の知恵だね。