markdadaoの日記

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高崎 旧井上房一郎邸

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いつか訪れてみようと思っていた、高崎駅近くにある旧井上邸へ行く。ここは高崎市美術館で受付をし、休憩室を抜けて戸外へ、芝生の先に建物がある。入場料500円とのことだが、証明できれば65歳以上はタダである。「嘘でしょう?」という受付嬢の言葉を遮るように運転免許証を出した。出鼻から気分がよく、撮影禁止の札が無いことを良いことに、そこらじゅう写真を撮る。

 

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まず庭からパティオを通り室内に入る。左側の寝室を覗く。今は応接セットが置いてあるが、井上翁が95歳を全うするまで、看護婦さんの世話で起居していたようだ。

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隣室は和室で、係員の説明では「この和室も寝室代わりにしていた」と言う。

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反対側の居間へ行く。レーモンドの妻のノミエのデザインされた椅子が、小ぶりな机に4脚、座ることができる。暖炉もオリジナルデザインだそうだ。壁はシナベニアのオイルステン仕上げ。残念なことに、その中の1枚だけが後から張り替えたもので色が違う。天井を這う、白い空調のダクトも年代を感じさせる。ペンダントとスタンドの照明はヨーロッパ製、唯一和室の竹ひご製のみ日本製で数年前、同様な形のものにつけ替えたそうだ。

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部屋のコーナーにある椅子の上には、井上氏愛用の品の良いストローハットが置いてある。

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玄関から左奥に見える物置小屋は、手前にある葡萄棚で味わいを作る。この玄関先には故井上房一郎の胸像が配置されている。庭に出ると、外から厨房、浴室、予備室が見えるが、ガラスが古いため触る事が出来ない。この厨房、浴室が生活観を感じさせる。

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焼失を免れた仏間を、離れに移設したそうだ。参観者は誰一人いなく、この庭を歩いていると、とても高崎駅から徒歩3分のところにあるとは信じられない静かさ。仏間の反対側の庭の端には茶室があり、手前には水場が用意されている。奥様はお茶の心得がある方だったそうだが、実際は寝室の隣の和室を利用していたかもしれない。

この井上房一郎の自邸は、焼失後交流のあったチェコ生まれの建築家アントニン・レーモンドの東京麻布にある自邸兼事務所を、模倣し井上工業が建設したとの事。

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井上氏は若かりし頃パリへ留学し、また帰国後も芸術文化の振興に大いに貢献され、群馬交響楽団群馬県立美術館、群馬音楽センター等の建設などに関わったとの事。このようなパトロンがいて、現在の高崎市の芸術文化の香りが継続されているが、本体の井上工業は残念ながら3代で仕舞った。

手前事だが、私の母の曽祖父は日本橋で大きな穀物問屋をやっていたが、二代目と三代目の放蕩息子が店を潰したそうだ。放蕩息子は自分のために金を使ったが、二代目の故井上房一郎は地域の芸術文化のために金を使い、結果、現在でもこの自邸などが人の目に触れる。ウィキペディアの最後に「無類の酒好き、女好きでならした」と書かれているが、ここは道徳論をしまい、この説明文だけで人間臭さを感じ得ることができる。