markdadaoの日記

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『日本史「常識」はウソだらけ』を読んで

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我々の世代は「勝海舟」がヒーローで、悪役が「小栗上野介」であった。しかし、群馬へ来て領地の高崎市倉渕村権田にある東禅寺の和尚の話などを聞く機会を得、認識が変わった。

現在は「小栗」はなかなかのテクノクラートと評価され、書物などでは江戸末期の幕府(日本)を支えていた事がわかる。しかし、幕府と薩長の抗争に徹底抗戦を唱えた「小栗」と、平和裡に維新を迎えた「勝」との政策相違が結果として、歴史は「勝」の政敵として悪役「小栗」が斬首された、となったのかも。

歴史はその時代の主流によって塗り替えられる。それを増長するように書き者が物語を作ってしまう。それを読んだ我々は事実だと信じてしまう。だから、歴史には二面性があることに気をつけている。できるならば歴史の事実だけを知りたいものだ。

そんな折、加来耕三著の『日本史「常識」はウソだらけ』を東京までの時間つぶしにキヨスクで買った。著者は一つの事象に対し、様々な資料を元に事実を書き記している。

隣町の甘楽町に「名勝楽山園」があり、観光名所として地元が織田宗家の大名庭園を修復建設した。織田信長の次男「信雄(のぶかつ)」が徳川家康から拝領されたこの地に作った庭園を、「平和と領民の安心を願う気持ちが込められている」とされており、「名君であったのかな?」と思っていた。

"しかし『日本史「常識」はウソだらけ』では、信雄は安土城を燃やしてしまった、またはその燃えている城や城下を指をくわえて傍観していたとのこと。ほかには、家康に泣きつき秀吉に合戦をしかけたが、途中で腰砕けとなり和睦後、全封土を没収された。しかし、家康に捨て扶持をもらい、信長の「不肖の息子」ではあったが、楽山園という陣屋を残し73歳で世を去ったとされている。

地元は町づくりの核として楽山園を修復したが、決して織田宗家の「信雄」を「不肖な息子」として著していない。ここに歴史のずれが生じてくるのだが、やむおえないことである。

今日、日中外相会議において中国の王毅外相は、「中日間のぎくしゃくした関係は日本側にある」とし「歴史直視」を唱える。この歴史も立場によって正反対の認識となる。歴史を語るということは誠に難しいことであり、裏表から事実を浮き彫りにして個人的な評価は避けるべきであろう。

 

日本史「常識」はウソだらけ (祥伝社黄金文庫)

日本史「常識」はウソだらけ (祥伝社黄金文庫)