markdadaoの日記

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憲法記念日に日本国憲法を考える

今日は憲法記念日とのことで、テレビでは「憲法は文明の利器」と姜尚中氏が発言。同感である。平和を維持するための人類の知恵である。

以前憲法改正が話題になった頃、海外では憲法は時代に合わせ頻繁に修正していると聞いた事がある。中公文庫より住本利男著による「占領秘録」(昭和27年4月)にて、日本国憲法の生い立ちというか、その舞台裏が記載されていた。

敗戦に伴い、東久邇宮内閣で憲法改正を考え、首相も「国の将来の骨格をどうするか」の腹案を作る必要性を考えていた。一方法制局の参事官も別の立場から検討をはじめていた。

連合軍の戦争裁判で陛下に責任が及ぶ事を懸念し、天皇の大権を削り皇室の政治関与を持たないようにする案があった。マッカーサー元帥(以下マ元帥)は「憲法の改正を要し、議会に同じようなタイプの議員が出てこないよう、選挙権を拡張し、婦人参政権と労働者の権利を認める」と語った。

東久邇宮内閣がすぐに総辞職をし、弊原喜重郎内閣となった新首相は憲法改正に反対であった。マ元帥は首相へ「ポツダム宣言の遂行に当たり、憲法自由主義化を含む」と言う。が、首相は憲法改正を本気でやる意志はなかった。一方近衛公はマ元帥より憲法改正の起草を依頼されていたが、政府との競合の中で批判を浴びた。政府の方は(松本案)憲法改正を小範囲にとどめ、英国風とし明治憲法の焼き直しであった。

その政府案を受け取ったマ元帥は弊原内閣は改革の意思なしと見た。そこで基本原則を具体化した憲法の草案を総司令部で作る事とした。その草案にマ元帥の3つの案を指示。1)天皇国家元首として憲法に基づき義務と権限が行使され、憲法の定めるところにより責任を負う。2)国家の主権的権利として戦争を廃止する。3)日本の封建制度は廃止される。

内閣は松本案と自由主義化を必要とする案で意見が分かれた。そしてマ元帥と首相との会見で「極東委員会の論議は日本にとって不利なもので、天皇制に対しても激しい意見が出ている」と元帥は説明し、出来るだけ早く憲法の基本原則を日本政府が受け入れる事を促す。その基本原則とは1)天皇を象徴とする。2)戦争放棄

日本に対する国際的な感情は冷ややかであり、厳しい政策を要求していた。しかし、この新憲法が当時の国際的欲求をかろうじて食い止めた救助艇のようなものだった。

その後、政府案の翻訳作業を総司令部のマ元帥の隣室で、日本側二名、米国側三名が分担して行われた。そして英訳と和訳を照らし合わせ両国が討議しながら、徹夜して一条づつ確認、了承していった。

憲法の要綱は口語体とし、内外に大きな反響を呼んだ。この草案は枢密院の全会一致とはならなかったが、多数可決した。そして国会も貴族院の修正案をもって可決した。

 

当時の背景はソ連をはじめニュージーランド、オーストラリア、フィリピン等や極東委員会マ元帥の総司令部に対し、日本の分割や天皇の戦争責任等への圧力があり、「象徴天皇」と「戦争放棄」の憲法改定が急務であり、国際的に日本の国体を維持する唯一の方策であった。しかし、旧体制から逃れられない明治憲法擁護派の圧力の中で、難産の末新憲法は生まれた。

当時の首相は経過説明の中で第9条をこのように発言している。「やがて世界各国が日本の後を追って戦争を放棄するであろう。今の日本のみがひとり戦争放棄の旗幟をたてて寂しく歩いているが、数年後には各国がこれにならってくるに違いない」

現在約150カ国が平和条項を憲法に取り入れている。GHQに押し付けられた憲法と言う人もいるが、当時の国際情勢から推して、日本の侵略等により被害を受けた国々や日本国土を狙う国の圧力、更には日本国内の新憲法反対勢力に対し、マ元帥は日本の将来に対し良くやってくれたと思う。