markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

友人M

約50年前の記憶を頼りに、昨日は吉祥寺のJazz喫茶の老舗を書いたのだが、どうも位置関係が曖昧であった。

気になるため、その友人のMへ数年ぶりに電話をした。僕の記憶が不確かで、吉祥寺駅の南口にあったのはFunkyの姉妹店のBe-Bopでロック専門店でした。

友人Mとは中学から一緒で、当時Beatlesが出て来た頃で、弟バンドのPeter & GordonのA World Without LoveをMと二人でそれをコピーしてオーディションでも受けようかと思っていた。僕たちは中高一貫校のため受験がなく、中三の頃のたわいもない夢ではあったのだが。それとMのお姉さんが当時売れて来たザ・サベージの追いかけをやっており、僕たちもライブへ行き多少は感化されていたかもしれない。

そして高校生となり、まだインストロメンタルバンド(演奏のみ)が主流であったが、歌えるバンドをやりたくてMがリードギター、僕がサイドギターで二人が唱い、ベースとドラムをいれた4人のバンドを組んでいた。学園祭では演奏しか認めてくれなかったが、シャウトをしないBeatlesのYesterdayとAnd I Love Herの演奏の了解を得てステージに立った。

大学では二人は別の学部に進み、僕は相変わらずロックンロールが捨てきれず、今ではプロのギターリストになった村山君とロックやR&BとBeatlesをやっていた。Mはジャズ研に入り、私にいわせれば攻撃的なJazz ギターへ向かっていった。そしてMは卒業を間近に退学し、Jazzの世界に入っていった。僕は父親の急逝にバンドを諦め会社を継いだ。そしてお互いが連絡を取ることが減って来た。

数年前再会し、Mの両親が亡くなられ、彼の一身上の問題等苦労をしたことを知った。尽きぬ話を止め、両親の葬儀の連絡をしなかったことを僕はなじった。涙を見せたことのない彼は慟哭し、そこで別れ今日まで連絡はしていない。

今夜の電話口のMは聞き覚えがある、まさに中学時代の声であった。