markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

吉祥寺 Funky

久しぶりの吉祥寺。高校時代はここは学校帰りの遊び場であった。と言うとチョット不良ぽく思われるのだが。学校が荻窪で吉祥寺か三鷹経由で自宅へ戻るのだが、仲の良い友人が井の頭公園の南側に住んでいたのでこの辺りで遊んでいた。

最近有名になったハーモニカ横丁は僕たちにとっては通路であり、その先には香ばしいお茶を煎じている店があった。当時(約50年前)今のパルコの中央を走る路地があり、その横にFunky というJazz 喫茶があり、そこへよく出入りしていた。地下は薄暗くマニアックな客で私語は禁止状態で両指をステイック替わりに机でリズムを取ったり、1階は僕たちクラスのアマチュアか待ち合わせ用でせいぜい足でリズムを取る程度、2階は話が出来る明るいJazzの客に分かれていた。友人も一時期そこでバイトしていたが、スタッフは黒のTシャツで確か白地のFunky の文字が染めてあった。

かかっているレコードのジャケットが客席から見えるように立てかけてあり、Bluenote系が多かった。Jazz喫茶はホット(コーヒー)が主で、テーブルには薄く丸くて黒い灰皿があり喫煙は当たり前であった。そんな瞑想と哲学的なJazz喫茶Fankyも、パルコの北側に出てからはだんだん大衆化して面白くなくなり足は遠のいていった。Jazzとは目をつぶって集中して聞くものだと思っていたが、20年程前、アメリカの有名なライブハウスでJazzを聞いた時カルチャーショックを受けた。客は食事をする者、アルコールを楽しむ者、そして演奏中でも連れの人達とワイワイ話しをし、演奏が佳境に入るとコップをテーブルに置き耳を傾ける者、それぞれが音楽の空気の中で楽しんでいた。ホテルのロビーなどでは、BGMは必ずJazzであった。アメリカ発祥のJazzは、生活のなかの空気と化している。 2,3年前日本でJazzライブで知人と話しをしながら音楽を楽しんでいたら、前の人に注意を受けた。こんなところで、まだFunkyの地下が根付いていた。

www.iori-n.com