markdadaoの日記

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日本回帰の製造業?(第2回K君情報)

1月31日の中国在住のK君の話が続きます。

私の仕事は、クルマ関係の金属プレス加工、日本では3K企業と言われた業種。金型作って、部品加工をします。現在従業員80人。日本人は俺ら一人。

 2000年に主要顧客の仕事を上海に移すと告げられ、あまり深く考えずに「私も出ます」。中国ではまだ外国からの企業誘致が盛んで、投資額や業種に応じた免税措置や補助金制度もあり、人民政府も夜の街も、いらっしゃい、いらっしゃいと迎えてくれて安心して遊べた良い時代です。(知り合いから聞いた話ですが・・・)

 時期的には「最後の護送船団方式」に飛び乗ったと感じています。その後は政府援助もなくなり、どんどん歓迎ムードが消えて行く状況でした。知り合いに聞くと、夜の街も特に上海万博前後から取り締まりが厳しくなり、「もうお前らは中国に出てこなくてもいいよ」と言われているようだったと。

 トヨタが天津市で小型車をつくると発表したのは、中国がWTO加盟が決まった2000年の秋。その車に乗せるための部品を供給するのが進出のきっかけでした。

その頃、日本では空洞化が進み社会問題となり、地元商工会工業部会では仕事が減っていく会社もあり、「中国に出る」という話をしたら、小さい会社の中高年社長たちから「なぜ中国になんかに行く。技術を教えりゃ、ますます空洞化が進む。」「おれたちゃ、どう食うかの問題だ」と怒られた、そんな時代でありました。

 

職人・技術者について

弊社も日本の仕事がほとんどなくなった2007年に、「日本本社の業務をやめ、上海一本でいく」ことを決めた。長く勤めていただいた職人さんたちは、上海に来るか退社転職するかをせまり、かわいそうで申し訳ないことをした。

大企業の技術者も、日本に仕事がないため外国で働くようになり、中小企業の職人さんも外国で働いてきた。その人たちのほとんどが定年を過ぎても中国にいるケースが多い。

日本本社では、仕事がないから規模を縮小し、次世代を担う技術者養成ができず、おまけに退社した人たちは自分の仕事を海外に求めることになる。その人たちも年をとってきたが、交代要員がいない。日本にも海外にも職人技術者がいなくなるという状況だ。

だから部品作りにおける日本回帰は、すぐには見込めないものが多いのではないか。部品作りだけは、しばらくの間、インフラ環境が整った中国から他国へ供給することになると思う。

弊社の存在価値はこれから生じるかもしれない。

 MADE IN JAPANに対する信頼と回帰の行く末

私の周りにいるある中国人は、電気製品は全部日本製だという。とにかく日本製品は人気が高いのは事実。

そのせいなのか、10年前、ブランドで売っている総合電機メーカーのデジカメ部品を作っていて、クレームの手直しで日本に呼ばれた時のこと。

デジカメのレンズ付き前半分は中国の深圳から輸入し、液晶付きの後ろ半分を上海地区から輸入、少量の部品を日本で追加し、前後を合わせて完成品にしていた。ひっくり返すとそこにはMADE IN JAPANと書かれていた。

さらに、その生産ラインに携わる人は、日本人ではなく、ほとんどがブラジル人だった。社内の雰囲気は、匂いまでまったく外国だったのには驚いた。今回もこういう事も日本回帰っていうのかな?

 研究熱心な日本人の事だから、100円の工賃を16円で出来るように考えていると思うよ。そのためには部品設計から見直して、ロボットがすべての作業を完成させるような。世代交代機種から回帰は始まり、それが新しいかたちの業態になるのかもしれない。