markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

ミーゼスに関する特別講義 その1

村田先生の講義内容 (ミーゼスについて)

日本の不動産業はインチキが多く、アメリカの不動産業を調べていたら、そのうち私は不動産の専門家となってしまった。不動産の通訳が必要な時は私に声がかかり、ヨーロッパで通訳をしていたら、通訳の業界からクレームを受けた。「同時通訳は頭を酷使するので2人でやらなければならないのに、君は一人でやっている。」しかし、ロンドンからの通訳が事故で来れなくなり、午後の正式なコンファレンスで日本語の通訳者がいないので、謝罪を受け午後1時から5時まで一人で通訳をやることになった。小沢征爾さんの奥様のお父様が世界不動産連盟の会長になった。おかげでずーっと通訳を続けていてこのような声(ハスキー)になってしまった。手術すること18回、今も元気で生きている。
どうしてミーゼスを知ったのか?戦後、ある雑誌に「日本はどのような経済体制で復興すべきか悩んでいる」と書いたら、その編集長からアメリカの法学大学院生のミラー青年からミーゼスの「Human Action」等の数冊の書籍を受けた。難しくて読むのに数ヶ月を要した。そしてこれを日本に知らしめる為に概要を4ページにまとめた新聞を作り配布した。それを岩井産業の社長が見つけて「資本主義を広める」ことに共感を得て、アメリカ行きの支援を受けた。そのおかげでニューヨーク大学の学生になることが出来た。人生は何をやっていても、何で陽の目浴びるか解らない。
ミーゼスは、授業が終わって質問用紙を提出し、次回の授業でその解説をする授業方法であった。何故そのような方法を取ったかと言うと、今ではわかるのだが、ミーゼスはその頃認知症にかかり始めていた。だから学生の質問を受けたとき、解る時とピンと来ない時があったからだ。私も家内が質問をしたとき、どうやって返事をしようかとまとまらない時がある。そして1時間ぐらい経ってから返事をすることがあるからだ。しかしミーゼスはどんな初歩的な質問も馬鹿にすることは無く丁寧に答えた。そしてその姿勢は古武士が論語を講義しているように背筋を伸ばしていた。そして夏でもネクタイをしてちゃんとした服装をしていた。ミーゼスから学ぶ為に、下準備として実際に学ばれた阪大の一谷氏のところへ行くと「行くのは辞めたまえ。実際に話を聞くより、ミーゼスが書いた書物を読んだ方がよっぽど解る」ハイエクも1回受講しただけで出席しなかった。
ミーゼス曰く「ヨーロッパでは元来裸で寝ていたが、パジャマを着るようになったのは資本主義のおかげだ」と。ミーゼスは読書家で講義の際いろいろなエピソードを交え話をされた。