markdadaoの日記

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田島さんを偲ぶ


田島先輩 - markdadaoの日記の田島先輩の告別式が今日執り行われた。
昨日はクラブ例会で、「田島さんを偲ぶ会」を行った。黙とうの後、関係の深い数名の方がスピーチを行った。

N氏:富岡市の発祥は近隣の宮崎からの移住者から始まり、田島さんの先祖は宮崎からの出身で富岡市内に多くの土地を持っていた。
自分より7歳年上で子供のころから頭の良い家庭という評判があった。なかでも長男の田島さんが一番良かった。小学校を優等で卒業され、高崎商業高校へ進学をされた。当時は群馬県内では高崎、前橋、伊勢崎商業の3校で各高校100名だけの募集であったので、小学校を上位3位以内でないと入試を受けることができなかった。
高崎商業を卒業し、富士銀行へ就職をしたが、自宅から通える支店を条件として高崎、前橋、伊勢崎支店だけを転勤した。従って40年間役付きを断り、万年平社員であった。優しい半面やり遂げる人であった。
同級生で女優となった「風見章子さん」風見章子 - Wikipediaの話題にするときは、いつもにこやかな顔をした。
富岡中央RCの設立から携わり「庶民的なRCを作る」ことを考えていた。人にアドバイスをするときはすぐに良いとか悪いとか言わない。3か月から半年後に話をする。
ユウモアもあり、立派な先輩を持って良かった。

O氏:富岡中央RCの8代目会長(当時79歳)で私(当時57歳)が幹事で54名の会員規模であった。出席率は92.85%であった。田島年度で現在でも継続しているのは「環境保全活動」である。他団体と共同で事業を行い、まず「鏑川の水質調査」を始め、現在の「丹生湖の水質浄化」と継続されている。
卓話では自分の商い(たばこ販売)等をテーマとする職業奉仕関連が多かった。第6分区のガバナー補佐の時、米山梅吉記念館の内藤館長と知己を得て、米山記念奨学会に力を注いだ。自宅に良く訪れていただき、熱心にRCの提言を行っていた。
ロータリアンとして、元気にボケずに酒を交わし、良く食をする充実したロータリー生活であった。

I氏:田島さんの末娘と自分の長男が結婚し、親戚となった。本人が写真館で撮ったものを遺影で使うようにとの事であったが、没個性的であり、画像は粗いがスナップ写真をロータリーで使うようにした。この写真は、田島夫妻が旅行好きで私たち夫婦と一緒に行った京都で舞妓さんを揚げてくつろいでいる様子のものである。そして緻密で計画性がある方だから、旅行も準備されていた。
神成山(かんなりやま)を登るK2クラブの会員で、10日前南牧の三段の滝へ奥さん同伴で皆と登った。厳しい沢を40分で登りあげた。
亡くなる前日は、富岡まつりの参考に前橋の七夕を見学に行き、夕方5時頃今度の選挙立候補者のところへ挨拶に行った。そして翌日の朝10時には帰らぬ人となった。
男として見事な死に様である。丸印に愛と書かれている良く使っていた帽子がここにある。これを明日棺箱に入れます。