markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

アエタ族の生活視察

朝5:30起床。6時朝食。6:15ホテル出発予定で地元ロータリアンのトラックを改良した荷台バスが来た。しかし、集団ツアーの常で7時の出発となる。
朝のラッシュアワーでマニラを脱出するのに1時間ほどかかった。ノースハイウェイからは順調に飛ばす。ピナツボ火山の麓でアエタ族の道案内の親子が同乗する。皆は初めてのアエタ族との出会いである。狭い車内が悪路でぶつかり合う。天井に走るパイプへつかまり山路を登る。国の支援で出来た舗装路で私たちは歩くことにした。ちょうど、この悪路を利用したマウンテンバイクのレースが行われており、自転車や糞やカエルの死骸を避けながら村の小学校に到着。
土曜日で学校は休みのため、家々にいる数人の子供達が興味本位で顔を出す。傍にサリサリストアー(雑貨屋)があり、100ペソを出しお菓子を購入するが相当お釣りが来る。数人の子達にお土産代わりに渡すと、大人が袋ごと私の手から持ってゆく。子供の教育上お菓子を渡した事がまずかったかなと思う。しかしその大人は独り占めして食べ始める。そのうち、子供達にも分け始めた。一体なんだったんだろう?
上の村にある水飲み場までさらに歩き始めようとすると、ある家の前で一人の男が力無く壁に持たれて私を見ていた。シャッターを切りながら、家を見せてくれるか聞いて見た。頷いて小屋へ案内する。おでこの周りが爛れた4ヶ月だという赤ん坊と母親というには若すぎる女の子がいた。しかし歳を聞くと24歳という。その男は42歳でその女の子の父親らしい。土間には壊れかけたカマドと茶碗やコップがある。水はどれかと聞くと、20リッターの2つのプラスチック缶を指差す。寝室として1mほど高床の部屋がある。もう一度赤ちゃんを見ると、枕元にミルクを置いてスヤスヤ寝ている女の子であった。チップをその父親に渡しお礼をして外へ出ると皆がいない。
下の村まで戻ると、大人達が木陰でたむろしている。日本人かと尋ねられる。うなずくと、「第2次世界大戦で日本人はたくさん人を殺した」と、機関銃で打つフリをする。そしてwomen slaveと言い出した。私は「だから平和が大事だ」と言い論争を始めたら、ちょうどその時、宣教師の団体がマイクロバスで到着しぞろぞろ人が降りてきた。その隙にその場を離れた。
表通りで、さっき買ったサリサリストアーの前の長椅子で座っていると、バイクに乗った若者が来た。上の村まで後ろに載せてくれと交渉し、細かい小銭が無く100ペソで成立。山の清水が出ている水飲み場で皆と合流出来た。帰りもまたトラックバスに乗り下山する。途中村長さんがたくさんの子供達を乗せたトラックが上がってくるのに出会う。そこで皆で記念撮影をして帰途につく。
このトラックバスはクーラーが効かず、振動と狭い車内で皆グロッキー気味の強行軍となった。