markdadaoの日記

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SUKUJI 作戦と会員増強維持セミナーの議事録を読んで

ロータリアンではない私の友人たちは、ロータリーをテーマとしたブログはつまらないとの事。申し訳ないが、私の人生の一つの指針となっているロータリーを理解してもらいたい。
先月、SUKUJI 作戦と会員増強維持セミナーが行われ、その議事録を先輩から紹介いただきました。なかでも国際ロータリーの理事である松宮氏の話には興味を持ちました。

ウェブサイトの登場による情報化社会への進展はロータリーの組織を揺るがす事となった。
それは、理事会、地区、クラブ、会員への伝達の秩序が根本的に変化したからである。従来はガバナー エレクトが葉書でアナハイムの国際協議会会場から投函することでテーマを伝えていたが、今はネット で瞬時に伝わる時代である。 個々のクラブがロータリークラブセントラル、ショーケースにアクセスしていく時代になっている。デ ジタルデバイド世代にとってはロータリーの「変化」についていけないのが現実であろう。 「未来の夢」等、訳のわからない活動にたいして「もうついていけない」「もういいだろう」というベ テラン会員の退会が危惧される。彼らのプライドが傷ついていることに対応しなければならない。

この内容はロータリーに限らず、どこの社会でも起こりえる問題だと考えられる。ITの出現により、情報伝達が革新され、またその情報を受発信するパソコンやタブレット端末、そしてスマートホーンの取り扱いが壁を作っている。世界がボーダレス化しているため、共通言語として英語が多用され、その言葉の壁も大きい。これらのインフラによる世の中の仕組みが変わった事で、モノの考え方や価値観も変わりつつある。
日本のロータリーの会員は旦那衆であって、世の中のために自分の懐から多額の金を拠出する事に鷹揚であるというステータスが過去にあったとしよう。現在は各会員の職業を通じたスキルを生かし、戦略と戦術を企画し、汗をかいてボランティアをし、同時進行で公共イメージを高めながら、結果を計測し次の戦略に生かすという未来型ボランティア集団になりつつある。しかし、過去も未来も「世のため人のため」の価値観を共有し、活動する集団ではあるのだ。時代とともに方法が変わってきただけだと思うのだが、渦中に入る私たちにはそこまで冷静になりきれないかもしれない。
ある会員は、例会内容を問わずに、ただ出席率を問い、寄付をもって行う事業への共感をさせる努力を怠り、ただ寄付を集う組織で「人は育たない」と明言する。新会員拡大は危機感をもった他人に任せ、時には「辞める」という伝家の宝刀をちらつかせる会員も出てくるのではないだろうか?
私個人の存在は、属する社会に貢献する事でなんとか成立すると考えている。このような価値観をもつ仲間たちと、一緒に人生が送れる事に感謝している。それが私のロータリーである。