markdadaoの日記

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アエタ族について


フィリピンの姉妹クラブの同期の会長から資料をいただき、下記の通り和訳をしてみた。
P元会長と私が会長時代姉妹クラブを締結し、それから6年が経過した。その間、様々なWCS提案を受け現場を見に行く。そのうち約半数は一緒に奉仕活動や支援を行った。今回のアエタ族への現場は1月に訪問する予定である。マニラから約2時間北西に向かったところに現場がある。以前ピナツボ山の噴火後を視察した事があるが、家や川が火山灰で埋もれており、再建は困難に感じた。あの場所を生活の場としているとのこと。
P元会長に先日電話し、緊急性のあるプロジェクトを聞いてみた。開口一番「水」とのこと。彼らの居住地から約3Kmの地に水源があり、ポンプとパイプラインはあるのだが、壊れており使えない状態だそうだ。この復旧に手を貸してほしいとの事。聞くところによると風呂も歯も磨かずに生活をしているそうだ。
「フィリピンんは既にアジアのお荷物ではなくなった」との最近の評価で、現地株式相場も上昇基調である。しかし都会の人々と、山岳地域の人々の経済格差はひどいようである。

アエタ族はフィリピンの原住民もしくは数ある民族の一つである。
Negritoと呼ばれるグループに属している。彼らはAyta,Agta,,Atta,Ata,Ati,Itaなど様々な名前で知られている。インターネットの記事の一つとして彼らはAustraloidの身体的な特徴があると言われていた。Australoidとは人種分類の目的のために人類学者によって使用される用語です。Australoid的身体特徴とは波状と直毛、黒色の顔色をもっていると表記されている。しかしながら、Australoidと言う用語は今日人類学者はもはや使用しなくなっている。

アエタ族がどうやってフィリピンに到来したか明らかでない。
The Aetaという著者のWaddingtonによれば多くの歴史家と人類学者達はアエタ族は部分的に水に覆われていた陸伝いをボルネオから約30,000年前移動してきたと信じられていた。フィリピンの最初の住民の一つであるとも彼は付け加えている。
アエタ族の典型的な拠点はミンダナオ島の北部とルソン島の中央と北部にある。ルソンとミンダナオはフィリピンの主要な島々である。アエタ族は多くの場合、山岳地域に追いやられ、隔離されています。彼らの生計は主に狩猟、採集、物々交換や釣りによって成り立っています。彼らはジャングルに居住して毎日必要なだけの食料を確保する事ができます。

今日のアエタ族
約1,000年の間、アエタ族はピナツボ山と呼ばれる火山の山麓に居住していた。アエタ族は1991年6月のピナツボ山の大噴火の間、彼らの土地から移転し避難をした。アエタ族の家は完全に壊された。彼らの何人かは今なおルソンの郊外に住んでいる。他の者はピナツボ火山が自分たちの土地を荒廃させたという事実にもかかわらずもとに戻りました。ピナツボ山の噴火以来、アエタ族の生活習慣は現在変化をしている。
アエタ族の多くはフィリピンの文化に同化始めているが、変化に対し抵抗しているいくらかのアエタ族もおります。今のところ、多くのアエタ族は、彼らの言語とアイデンティティーを失っている。フィリピン人は彼らの文化を失うというデメリットを実現させないように、彼らの教育することに常に苦労している。