markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

Something God

社会に居られるということは、その社会に何らかの貢献をしているから、居ることを認められているようだ。
放蕩三昧で生活の糧の仕事をおろそかにし、食うに困ることになることがあるとする。
そうするとSomething God(村上和雄先生の発案)がその人間に試練を下すことになる。そこで謙虚さや感謝を悟らせ、真摯な精神を埋め込む作業を始める。
もし、Something Godの気が変わり、その人間を生かすために、それなりの仕事を与える。それは、その人間がもう少し社会に必要なので、役に立たせようと考えるのだろう。とにかく人間はSomething Godに翻弄されながら生きているようだ。
ああしたいこうしたい、このような仕事をしたいと考えていても、お客さんの都合の仕事を持ってくる。やることが無いので、その仕事をやっていると、まるでそれが本職のようになる。そして何とか食えるようになる。もちろん、自分の夢を実現する人たちもいるのだが、多くはこのように、周りが己を作ってゆく。
自分がやることは与えられた生き方を、ただひたすらしっかりやる事にあるのかな。